暗い空の下、自転車の後ろに女の子を乗せて町外れの道を進む。
 僕はそんなアルバイトの最中だ。
 銀色の荷台に座るクラスメイトの女子は、器用なことに跨がるのではなく横向きに腰掛けている。服装は学校にいる時から変わらず、ブレザーの制服だ。
 女の子は、月がはっきりと見え始めた夜空を眺めている。その顔立ちは、やたらと整っていて、綺麗だ。
 男子高校生としては、後ろに可愛い女子を乗せて走るなんて、大分青春なのだろう。
 これで楽しそうに笑い合いながら自転車を進めていたら、確実に男子連中による呪詛の対象になるはずだ。
 でも残念ながら、僕たちはそういった、いい感じの関係ではない。
 後ろにいるのは、数か月前まで話したこともなかった女子だ。今も自転車に乗せる時に、僅かな緊張感があるくらいだ。
 彼女が僕の服を掴んだり、寄りかかったりするような乗り方をしていたら、おそらく僕は参っていたことだろう。彼女が優れたバランス感覚の持ち主だったおかげで、僕はなんとか気恥ずかしさを乗り越えている。
 今日は、涼しいというよりはやや空気が冷たかった。秋だとはいえ、日が落ちた後はそれなりに気温が低い。
 僕は彼女のスカートの下に見える素肌の脚を思い出した。目的の場所には自転車で30分ほどかかるのだから、座りっぱなしでは冷えそうだ。
「寒くないか」
「寒くはないよ」
 僕の問いかけには、いつも通りの短い返事が返ってきた。澄んだ声には、やせ我慢をするような震えた響きはなかった。どうやら本当に大丈夫らしい。女子高生のスカートには暖房機能でもついているのかと思う。
 それきり、僕たちはまた口を閉じる。
 一匹狼。
 僕から見た、彼女の教室内での印象はそんな感じだ。休み時間に友達と話しているところは、あまり見たことがない。彼女は一人でいることを、気にしないタイプなのだ。
 彼女は表情を変化させることが少なく、それと容姿のよさが相まって、常に凛とした雰囲気を纏っている。笑顔を作らないものだから、クラスの皆は、気軽に話しかけてもいいのだろうかと、気後れしてしまうようだった。
 僕も、可愛くはあるけれど近寄り難いと思っていた。このアルバイトで一緒に行動するようになっていなかったら、この先ずっと関わることはなかっただろう。
 住宅街に並ぶ家の窓から洩れる明かりの中、平坦な町の道をゆっくりと走る。
 元々人通りの少ない道は、夜になるとさらに人の姿が見えなくなり、こうして自転車で走るには好都合だ。女子を荷台に乗っけているところをクラスメイトなどに見つかったら恥ずかしい、という理由ではない。女の子の所持している物が異様過ぎて、あまり目立ちたくないのだ。
 聖剣エクスカリバー。神盾イージス。
 どちらも伝説の武具で、それを持つ女の子は勇者だ。彼女は町に出現する魔界のモンスターと人知れず戦い、日々魔王軍の脅威を退けている。
 僕は、彼女を支えるアルバイトの賢者で、今はモンスターの出る場所へと新聞配達ならぬ勇者配達をしているといったところだ。
 勇者が背中に背負った盾には、彼女が小学校の時に書いたらしい、
 6年2組 鈴木 ミカゼ
 という名前が油性サインペンで記されている。
 『自分の持ち物には名前を書きましょう』という先生の教えを忠実に実行したのだろう。ドラゴンの吐く炎すら防ぐ盾に、百円均一で売っていそうなペンで字を書いてしまうあたり、小学生とは恐ろしい。盾を見るたびに幼さの残る少し下手な字が気になってしまうので、いつか消してしまおうと思っている。盾には呪いを防ぐために『精霊の加護』や『天使の祈り』といった仰々しい名前の特殊効果が付与されているらしいが、有機溶剤で拭いたら消えてしまわないかと、少し不安になる。神秘的な機能があっさりと拭き取れてしまうとはあまり考えたくないし、恐らくは大丈夫に違いないだろうけれど。
 小さな橋を渡って、町に流れる細い川を越えたあたりで、僕はミカゼに話しかけた。
「大事なことを思い出した。後で物理Ⅱのノートを貸してくれ」
「うん。また寝てたの?」
「振り子の速度を求める図が催眠術に見えたんだ」
 悲しいことに僕の成績は、それほどよろしくない。賢者であることと勉強の能力は、直結しないらしい。
 勇者に授業のノートを借りる賢者は、なんだか情けない。
「千早、物理と交換で世界史のノートを貸して」
 と、ミカゼは僕の名前を呼びつつ言った。彼女は世界史の授業中にいつも寝ているわけではない。交換で僕のノートを見たいというのは、落書きした内容を目当てにしているからだろう。
 黒板の内容を正確にノートに写し取るミカゼと違い、僕は授業の片手間で気の向くままに落書きをしていることがある。
 僕からノートを借りたミカゼが、エジプト文明の項目に、猫っぽくディフォルメされたスフィンクスが描かれているのを見た時は衝撃だったようだ。それからは、こうしてたまにノートを見ようとしてくる。
「増えてるの?」
「少しはね」
 また短いやり取りを終えて、無言で風の中を走る。
 いつだったか、ノートを受け取るミカゼが軽く笑みを作った時はどきっとした。普段滅多に見ることのない表情だったから、尚更だった。隠された世界の秘密を引き出した気がして、嬉しくなったことを覚えている。それから僕は、彼女にまた笑って欲しくて、落書きの頻度を増やしている。
 借りた物理のノートにも、自由落下中に華麗に一回転して着地する猫を描いてやるか。僕は自転車のライトに照らされる前方の地面を見ながら、そう考えていた。


 町の外れにある、山というには大げさな、小高い丘を登った。坂の終わりがアスファルトで舗装された道の終わりになっていて、自転車で走れるのはここまでだ。
 僕たちは自転車から降りると、林の中に入っていく。木々の合間の細い道は、奥に行くにつれて町からの明りが届かなくなる。
 薄暗く足元もよく見えないというのに、ミカゼは速度をあまり落とさずにすいすいと歩いていく。地面の凹凸や小枝に足を取られそうになり、気をつけて進む僕とは大違いだ。
 どうしてもミカゼからは遅れがちになってしまうけれど、彼女が一定の距離を保ってくれるのはありがたかった。完全に置いていかれたら、仲間として不要であると言われているような気がして、軽く落ち込んでしまいそうだ。
 暗い中、ミカゼについていくと、彼女の後ろ脚がうっすらと見える。しっかりとした足取りの彼女には逞しさすら感じるが、白い肌と滑らかな曲線は、それを打ち消すほどに女の子らしい。太ももから膝裏にかけて幅の狭くなる角度はやや浅めで、スリムな彼女の体型との相性がよかった。
 ほどなくして、僕たちは目的の場所に到着する。
 茂みの先には、ちょっとした広場と言えるくらいの草原が開けている。小学校のピクニックや、お花見をするには丁度よさそうな場所だ。
「今日のモンスターって、なんだっけ」
「ちょっと待って」
 と言いながら、ミカゼはブレザーのポケットから、スマートフォンを取り出した。そこには異国の文字が並んでいる。ミカゼがそれを読み上げる。
「スノーサーベルマンモス」
「あのでかいやつか」
 ミカゼのスマートフォンには、市役所の魔界対策課から、モンスターが現れる日や種類等の情報が送られてくる。
 現代の勇者は大分IT化が進んでいて、神託を告げる巫女や、文字の浮かび上がる石版などは、伝説の時代の存在になってしまったらしい。
 スマートフォンの画面表示でモンスターの襲来を知るというのは、お手軽感がありすぎて気が抜ける。そう思うのは僕だけなのだろうか。
 勇者ミカゼの担当するエリアの魔界の出入り口は、決まってこの場所に、いつも同じくらいの時間帯に開く。女子高生勇者が活動するには、都合の良いスポットだった。
 モンスターの名前を聞いた僕は、ミカゼからエクスカリバーを受け取ると、草地に落ちている棒っきれへと近づく。この仕事を始めてから間もなく、僕が持ってきた竹の棒だ。
 巨大なモンスターに対してはリーチがある武器が有効だ。そこで、紐を使って竹の棒にエクスカリバーを括りつけるだけの簡易的なアイテム合成で、強力な槍を作り上げる。最強の竹槍は、エクスカリバンブーランスとでも名づけておくか。
 出来上がった武器をミカゼに渡した後は、モンスターの出現を待つことになる。待つ時間は日によって違い、だいたい数分から数十分ほどだ。
 森に囲まれた草原に設置されている木のベンチに、ミカゼと並んで腰掛ける。空からは、ごおおという低く緩やかな風の音がする。
 僕は鞄から水筒と、プラスチックのコップを取り出した。モンスターが出現するまで一服して喉を潤すのが、僕たちの習慣になっていた。
「飲む?」
 僕の問いかけに、ミカゼは小さく頷いた。
 水筒に入ったお茶を容器に注ぎ、ミカゼに手渡す。
「ありがとう」
 と特に笑みを作るわけでもなく、短い礼が返ってくる。
 会話をすることもなく空を眺め、静かにモンスターを待ち続ける。ただし、試合前の格闘家やスポーツ選手が目を瞑ってイメージトレーニングをするような、緊張感を持った沈黙ではない。モンスターの出現を待っているだけなのだ。授業開始の鐘が鳴って、教師が来るまで着席して待っている感覚に近い。
 こうして待つのにはもう慣れたもので、暇だなと思いつつ空を見ているだけだ。
 このアルバイトを始めたばかりの頃は、大分居心地が悪かった。
 ろくに話したこともないクラスメイトが隣にいて、ずっと無言で、ベンチに座ったままじっとしているのだ。もしかして、何か話した方がいいんじゃないのか、などと余計な考えを巡らせてしまう。しかも相手が可愛い女の子なものだから、話しかけるにしても、慎重に言葉を選ぼうと悩んでしまう。
 しかし、無理に何か会話をしようとしても、特に話題があるわけでもない。アルバイトの初日は「勇者って、大変そうだよね」という、天気の話とさほど変わらないことくらいしか言えなかった。「そうでもないよ」と、短い返事がミカゼから返ってきて「そうなんだ」という相槌を打った。会話の寿命は一往復半、時間にして八秒だ。
 話がすぐに終わって気まずさを感じる時間が続き、僕は勇者の仲間であるはずなのに、モンスター早く来てくれマジで、とまで念じてしまった。
 その後も僕はモンスター退治に来るたびに、教師に関する噂や、ニュースのまとめサイトから拾ってきた話や、その場で思いついたジョークなどを言うなどした。
 ある日、これでは女の子を口説くのに必死な男のようで、なんだか恰好が悪いな、と気づいてしまった。そうして僕は、彼女に不自然に話しかけるのを止めた。
 ミカゼは、互いにずっと黙っていたとしても「何か喋れよ」と不機嫌になるような性格ではなかった。必要な時に、必要な分だけ話をすればそれでいいらしい。
 ミカゼとノートを貸し借りする仲になったあたりから、大人しく空を見上げて待つことが、苦ではなくなった。
 僕はミカゼとの間に置いた水筒から、自分のコップにお茶を継ぎ足した。冷えた空気に湯気が立ち昇る。
 町の明りから離れたこの場所では、上を向けば、星の光がよく見える。事情を知らない人がもし僕たちを目撃したら、流星群を見に来たロマンチックなカップルだと思うことだろう。そのように考える人には、もう少しこちらをよく見てくれと言ってやりたい。いい雰囲気でここに来る、おめでたい関係の二人組だったら、もうすこし体を寄せ合っているはずだ。
 僕とミカゼは、二人分ほどの間を空けて、ベンチに座っている。なんというか、少し距離が遠すぎるくらいだ。
 いつだったか、何も考えずに、かなり近くに座ってしまったことがある。ミカゼから柑橘系のいい匂いがして、これは女の子の香りだな、と考えてしまったのが不覚だった。急に心拍数が上がってしまい、慌てて「なんか近くないか」と口走ってしまった。
 ミカゼが「そう言われれば近いかも」と短く答えてからは、どちらからともなく広すぎる幅を空けてベンチに座るようになった。
 仲間であるというのに余所余所しい感じがしてくる、残念な距離だ。
 勇者が女子じゃなかったら、もっとこういうことは意識せずにいられたのかもしれない。 思春期の男子高校生の習性は、時として不便すぎると自覚する。
 アルバイトが決まった時に市役所から渡された簡易マニュアルには、勇者と賢者の距離感についての規則は書かれていなかった。『勇者とその仲間がベンチに座る時には、エクスカリバーの長さを半分にしたくらいの間隔を空けること』などという決まりがあれば、こんなことで悩む必要はなかっただろうに。
 やがてミカゼのスマートフォンが小刻みに震え、魔界のゲートが開く時間が来たことを知らせる。
 エクスカリバーで作られた竹槍を手にして、ミカゼが無言で立ち上がる。
 周囲の空気が張り詰めたように変わっていく。空の星が見えなくなり、その分だけ辺りが少し暗くなる。もうすっかり慣れた光景だ。
 何もない空中に、紫色の光が現れ、次第に大きくなっていく。魔界の出入り口だ。
 光が家一軒くらいの大きさにまで膨れ上がった。眩しさを増した光の向こうには、微かに先ほどまでとは違う風景が見える。光に包まれた空間が、別の世界と繋がっているのだ。
 魔界の出入り口から、冷気が漏れ出てくる。そして、その奥から魔界のモンスターがやって来る。動物園にいる象の顔をできるだけ悪役にして、牙を剣のように鋭くした生き物だ。このモンスターは寒冷地に住んでいるらしく、出現する時には、いつも魔界のゲートから雪の混ざった風が吹いてくる。
 巨象の雄叫びが山に響き、森に住む鳥が一斉に飛び立っていく。ゆっくりと、巨象がこちらの世界へやってくる。前足が地面に落ち、軽い振動が地面を揺らす。
 ミカゼはモンスターの前に立ち、穂先を斜め上に突き上げるような姿勢で槍を構えた。
 巨大なモンスターは、目の前にいる小さな人間のことなど気にも留めずに、魔界の門から歩み出てくる。
 そして、前進してくるモンスターに、槍の先が突き刺さる。引っかかったという表現の方が似合うかもしれない。
 伝説級の武器を装備したミカゼの攻撃力は巨象のヒットポイントを上回るらしく、魔界のゲートから押し出されるように前進してきたモンスターはあっけなく死ぬ。
 断末魔の叫び声が地面を揺らす。こういう迫力だけは一級品だ。
 手応えを確認したミカゼがするすると後退する。巨象が力を失い、紫色の炎に包まれながら地面に崩れ落ちる。倒された魔界のモンスターは熱量のない火に焼かれ、こちらの世界にいた痕跡を跡形も残さずに消えていく。
 さっきの大型モンスターに対して、かつてのミカゼは、懐に飛び込んで剣を一振りする動きをしていた。それが槍を構えて立っているだけでよくなったのだ。
 勇者の仲間としてここに来ている僕は、なんとかして賢者らしく彼女をサポートできないかを考え、エクスカリバンブーランスの合成レシピを作り出したのだった。
 その結果、巨大なモンスターを倒す作業はより簡単に、そして淡白なものになってしまった。無表情で巨象にちくっとするミカゼの顔を見ていると、なんだか申し訳ない気分になる。
 紫色の光はいつの間にか消え、さっきまで魔界と繋がっていたであろう空間は、何事もなかったかのように元通りになっていた。微かに虫の声が聞こえる、いつもの原っぱだ。
 モンスターを倒した後は、ミカゼのスマートフォンのお役所製勇者用アプリで、魔界と人間界の繋がりがなくなったことを確認する。そうして勇者のパーティの仕事はお終いだ。
 いつものように草原を後にして舗装された硬い道まで戻り、来た時と同じように自転車に乗る。じゃあ進むよとミカゼに声をかけて、帰り道を走り出した。
 僕が行動を共にするようになった勇者の戦いは、神話やゲームなどで語られる英雄譚からはかけ離れた、無感動であっさりとしたものだった。今では僕が竹槍を開発したせいで、さらに単純なルーチンワークになってしまった。こんなもんでいいんだっけ、とたびたび考えてしまう。
 小学生の頃に、クラスの友達と一緒に、世界を救う冒険に出るなんて空想をしたことがある。ヒロインを守りながら戦い、魔物の群れを相手に苦しい戦いを乗り越えるというものだ。
 現実は想像とは程遠い。
 本当に魔物の軍勢と戦うことになってみると、僕はヒロインの後ろで見ているだけだ。
ミカゼが倒しているようなモンスターを相手にしたら、多分僕は即死する。おそらく僕の代わりにトマトか何かが置いてあっても、結果は大して変わらないだろう。ぐちゃぐちゃに潰れたものが出来上がるだけだ。
 モンスターを倒すたびに、無力感に包まれてしまう。
 それでも、モンスターを倒しに行く日々にうんざりしたり、めんどくささを感じたりすることはなかった。自転車に乗せて勇者を送り迎えするだけの簡単なお仕事だからだ。
 そして僕はなんとなく、ミカゼには自分がいないとだめなんじゃないか、と感じている。 綺麗な女の子と一緒に行動するようになった男子高校生の、思い上がりなのかもしれないけれど。
 ミカゼの元々の性格なのか、モンスターとの戦いに特化した勇者の性質なのかは分からないけれど、彼女は口数が少なく、他人とのコミュニケーションは最低限なのだ。
 役所からは「モンスターとの戦いは現代社会を混乱させないために、なるべく目立たずに行うように」と言われている。
 けれども、いつかミカゼのモンスター退治が周囲の注目を集めてしまい、騒ぎを起こしてしまいそうな気がする。そんな時に彼女は、何か簡単に口にするだけで、上手い釈明をしないに違いない。まるで勇者は常に堂々としているべきだと、信じているかのように。
 そういった状況で、周囲との間に入っていって、上手く勇者を導いてやることが、賢者の使命ではないだろうか。
 せめてミカゼが僕の力を必要とする時には、彼女の仲間でいてあげたい。そう考えながら、僕は自転車を走らせる。
 町のどこからかは、もうそろそろ本格的に夜ですよ、を町民に知らせるための、長閑な音楽が流れていた。
 兎追いし彼の山。懐かしい気分になるメロディを乗せて、秋の風が吹く。ミカゼと伝説の武器の重量を自転車で運ぶ僕には、暑すぎず寒すぎず、丁度いい季節だ。

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