普段は数人単位、近くの席の人間で固まって食べるらしいが、今日に限って言えば、マリアとアリスを取り囲む形でクラスメイトたちは椅子と机を動かした。
 ほぼ全員が目を輝かせて、彼女たちに視線を送っている。
 トキちゃんこと、相楽朱鷺子(さがらときこ)が笑いながら言う。
「転校生って珍しいんだよね。わたしらさ、小学校の頃からほとんどメンツ変わってないし、田舎町だから娯楽に飢えているんだよ」
「そうなんだ。んー、でも、ボクら、そんな面白いことなんて言えないよ」
 マリアは及び腰で言ったが、供物が視界に入るので無下にもできない。
 善意の塊だからこそ対応に困るのだが、期待されても応えられる気がしなかった。
「大丈夫よ。全然違うとこの話が聞けるだけで大満足だし」
 どうやら、朱鷺子がこのクラスの中心人物らしい。
 茶髪で背は高い。目鼻立ちのクッキリした整った容姿と明るい性格の持ち主でみんなから好かれているのだろう、と会って間もないアリスにも理解できた。
「……分かりました。ただ、アタシたちからも質問よろしいですか? やっぱり、聞きたいこととかありますから」
「うん、全然オッケー。ところで、二人ってどこに住んでたの? うちの担任、名前くらいしか紹介しなかったでしょ? 気になってたんだ。なんか午前中はずっと不機嫌そうだったから声掛けにくかったしね」
 分かるー、といろんなところからケラケラ笑い声が上がった。
 そんなに酷かったのか、とアリスは内心反省した。苛立ちが面に表れるとは、まだまだ未熟だ。「申し訳ありません」と謝ってから質問に答える。
「転校してきたばかりですこし緊張していました。アタシたちはつい先日まで最城市の中学校に通っていましたよ」
「最城? やっぱり、都会だね! でも、分かるわー。なんかマリアちゃんもアリスちゃんも育ち良さそうっていうか、本当に可愛いもん!」
「そ、そうですか。ありがとうございます」
 アリスは目をキラキラと輝かせている朱鷺子に気圧された。これは皮肉ではないのか、女子同士の駆け引きではないのか、とかいろいろ考えさせられる。
「でも、アタシなんかよりは相楽さん可愛いというか、皆さん、素直というか、純朴というか、んー……上手く言えませんが、安心できます」
 優秀な魔術士には美形が多い。
 これには二つの俗説があって『権力を握る人間が多いので、容姿の整った相手との結婚が多く望めたから』という説と『権力者が多いので容姿の基準が優秀な魔術士に有利なものへと変化したから』という説だ。鶏と卵の関係にすこし似ている。
 だから、天食学園の方が敬護屋中学に比べて容姿のレベルは明らかに高かった。
 だが、あの学校の児童・生徒はトップを除いて競争が激しかったせいで、子どもらしくない荒んだ目の持ち主が多くいた。
 それに比べると快活な笑みを浮かべている、この中学の方が好感度は高い。
 朱鷺子はすこし照れたように笑い飛ばす。
「そんなことないってばー。田舎なだけだし! でも、アリスちゃんの丁寧な喋り方とか超似合ってるよね! 前の学校ってどんなところだったの? やっぱり、お嬢様学校?」
 マリアがポロッとこぼす。
「あ、ボクらは天食学園にいたんだけど――」
「え? 天食学園って……あそこは優秀な魔術士しか入れないんじゃ……」
 疑惑の目を髪に向けている朱鷺子へアリスがフォローに入る。
「いえ、天竹(てんじく)学園です。よく間違われるのですが、天食に似せた名前の学校って意外と多いのですよ」
 アリスがマリアへ横目で非難すると、マリアはゴメンよーと目で謝る。
 マリアの方がアリスより人見知りをしないし、友達を作るのも上手なのだが、腹芸は苦手だった。だから、自然と彼女の口数は減る。
「そうなんだー。可愛いだけじゃなくて勉強もできるなんてスゴいね! 難しい問題だったのにスラスラ解いてたよね。あの数学の先生って意地悪だからスッキリしたよっ」
 朱鷺子の褒め殺しが辛くなってきたアリスは「勘弁して下さい」と苦笑する。
「褒めても本当に何もできませんからね」
「そうかな? 勉強教えて欲しいって人、結構いると思うよ。ほら、あそこのムッツリ赤髪とかさ」
 朱鷺子が無遠慮に指さした先に、赤髪の少年がいた。
 弁当を食べているのだが、他のクラスメイトと違い、窓の外を見ている。
「ほら、大後(だいご)。アンタも話に参加しなさいよ」
「……うっせーな。別に俺は関係ないだろ……」
 大後と呼ばれた少年はぶっきらぼうに言うが、朱鷺子は続ける。
「あいつ大後公徳(だいごきみのり)って言うんだけど、見ての通り魔術士の才能があるの。でも、学校の成績最低だから。超アホ。気にしないで良いからね?」
「おい、俺は無関係だって――」
「無関係だから話題にしても気にしないで良いんじゃないの? この前の数学七点だった男が強がっても意味ないからね」
 大後は「うぐ……うっせぇ。アホ」と力なく呟く。
 すると、朱鷺子が「アホはアンタでしょ」と野次り、教室を満たす笑いに発展した。
 マリアもアリスもその様子を見て驚いた。大後の赤髪はかなり発色が強い。魔力値は五万を超えているだろう。天食学園にいても不思議ではないくらいの才能の持ち主で、発現確率は千人に一人というところだ。こんな平凡な公立中学にいる人間ではない。
 言っては悪いが、凡人である朱鷺子の立場が彼より強いのは理解できなかった。
 数学七点……成績が悪すぎて魔術専攻のある学校に入学できなかったのだろうか、とアリスは考えた。魔術専攻科は私立も公立も偏差値の高い学校が多いが、別に高いところしかないわけでもない。もちろん、家庭環境の可能性もあるが、家が貧乏でも魔術士としての才能さえあれば、奨学金は出やすいのでおそらく違うだろう。本人の意志だ。
 ただ、平凡な家庭環境で鳶が鷹を生んだから、両親もどう育てて良いか分からず、特別な教育を施そうとしなかったのは間違いない。
 すると、クラスメイトの一人がからかい半分で声を上げた。
「まーた始まったよ、夫婦ゲンカが」
 その声を追いかけるようにして、声が続く。
「あ、烏丸さんたち、この二人のことは気にしなくて良いからね? いーっつもこんな感じだけど、ただの愛情表現だから。もうホントどうしようもないんだからね」
「そ、大ちゃんと相楽って、もう運命としか思えない事件があってね」
「ちょ、や、止めてよ! 本当に!」
 真っ赤になった朱鷺子が遮ろうとするが、クラスメイトたちはそれぞれ楽しそうに話を続けた。ちなみに、大後は我関せずと窓の外を見ているが、耳が赤くなっている。
 まとめると、どうやら数年前に変質者がこの近辺に出没していたらしい。小学生だった朱鷺子は偶然狙われ危険な目に遭ったが、そのピンチに駆けつけたのが大後だった。魔力量は十分だったが、それまで術式がまともに組み立てられなかった大後。しかし、愛しい人の危機に覚醒し、急に使えるようになった魔術で変質者を倒したのだった。
 そのヒーロー譚を聞かされてマリアは「ふわぁぁ」と呟いた。
「素敵だね! なんか、ボク、そういう話嫌いじゃないよ!」
 マリアは乙女な部分があるので、素直に羨んだ。彼女はピンチの状況でヒロインがヒーローに助けられる筋立てのヒロイック・ファンタジーを密かに好んでいる。
 が、それに対してアリスはそこまでの話を聞いて、この流れを冷静に考えていた。
 おそらく朱鷺子は大後少年のことが好きなのだろう。両想いかどうかまでは知らないが、大後がやりこめられているのも惚れた弱みと考えれば納得できるので、それなりに良い関係が築けているはずだ。周囲もからかい半分だが、祝福しているから間違いないだろう。
 しかし、その閉じられた理想郷(ユートピア)に、異分子であるアリスたちが現れてしまった。彼女たちの容姿がかなり恵まれていたので、もしかしたら、今の世界が壊れてしまうかもしれないと懸念した。だから、朱鷺子は意識的か無意識的か分からないが、警戒し牽制した。
 そこまで考えて、アリスはため息をつく。
 朱鷺子はそこまで計算している人間には見えない。その不安さえも自覚していないだろう。そんな底意地の悪い発想をするのは自分のような人間だけだ。
 だから、アリスは微笑んで言う。
「お似合いなのですね。アタシもそういう人がいればなぁって思います」
 大後は寝たフリで机に突っ伏しているが、相変わらず耳が赤い。
 朱鷺子も赤いままごまかすように笑う。
「そ、そうかな……そ、そんなこともないんだけどね。ア、アリスちゃんたちは前の学校で好きな人とかいなかったの?」
 アリスはマリアと目を合わせて、同時に首を横に振った。
「そういう話も相手も今までありませんでしたね……」
「二人ともモテそうなのに不思議っ! 男子どもチャンスかもよ!」
 騒ぎ盛り上がるクラスメイトを見て、マリアは照れからやや赤くなった。
 アリスは「まぁ、縁があれば」と適当に微笑んだ。
 天食学園では自由恋愛をき忌ひ避する空気があった。
 強い魔術士は有名な家の子女に多いのだが、そういう子どもたちは幼い頃から親に婚約者を決められているケースが非常に多い。要は魔力量が遺伝に依るのだから、家名を維持するためにも優秀な相手と結婚させたいのだ。
 アリスたちはそんな話なかったが、もしかしたら、彼女たちが知らないだけで水面下では話があったかもしれない。今では確かめても仕方ない話だが。
 ふと、アリスは幸太郎のことを思い出していた。
 正確には彼の実母のことを考えたのだ。詳しい話は知らないが、黒髪で非魔術士だったらしい。義父と結婚する際にはすごく問題になったようだ。
 幸太郎も何か特殊な才能はあるようだが、黒髪なのだ。いかに血統が大切か分かる。
 アリスは大後には興味ないですよというアピールのために繰り返した。
「本当にお二人はお似合いなのですね」
 朱鷺子は照れ隠しなのか、早口で言う。
「あ、でも、コイツってば、週一で魔術士の先生に来て補習して貰っているのに、サボろうとするからね? 結構、どうしようもないよ」
 大後が顔を上げて、面倒くさそうに吐き捨てる。
「何度も言ってるだろっ。それは俺が魔術士資格取る気ねぇからだよ」
「えええ!? どうして? もったいない!」
 マリアは信じられない、と目を丸くし、アリスは黙って大後を注視した。
 彼はフンと面倒くさそうに鼻を鳴らし、頭をガリガリと掻いた。
「……俺は魔術士に向いてないからだよ。ほら、ずいぶん昔に『種島(たねしま)事件』ってあっただろ? 人間は適材適所で生きるべきなんだよ」
 家庭で使用される魔力製品を動かすため、各家庭に供給する魔力を作り出しているのが魔力炉だ。そして、その一つに異世界の魔獣を使役する魔獣型魔力炉というものがある。
『種島事件』は三十年以上昔、その魔獣を暴走させた事故である。
 非魔術士が魔術士と同じ仕事をしようとして、多くの死傷者を出したのだ。現在はその反省を生かして、魔力炉には二重三重の事故防止システムが仕掛けられている。
 なお、敬心や敬太郎が魔力炉の構築に大きく尽力した結果、夢野家はエネルギー分野で国内トップの影響力を誇っている。
 その件を持ち出したが、大後の魔力量からすれば、適材適所は魔術分野のはずだ。
 アリスは彼がどうしてそういう考えに至ったのか、分かった気がした。訊ねるかどうか一瞬だけ迷った末、彼女は意を決した。
「あの……もしかして、大後くんが変質者を魔術で倒した時、何かあったのですか?」
 シンと教室が水を打ったように静かになった。
「あ、あの……もしかして、アタシ、何か悪いことを訊きましたか……?」
 アリスは慌てるフリで謝罪した。オドオドと怯える演技も忘れない。
 その様子を見て、大後が苦笑しながら「大したことじゃねぇから」と言った。
「放った魔術の威力が高すぎて変質者の腕を吹っ飛ばしちまったんだよな。殺しはしなかったけど、やり過ぎってことで下手したら八瀬(はせ)の洗脳術式を食らうところだった」
 八瀬は警察組織に強い力を持った一族だ。
 洗脳や尋問のための特殊な術式を考案した――と言われているが、実際はそこまで非人道的なものでもない。ただ、その洗脳術式を植えつけられれば、魔術の使用は事実上不可能になる。もっと恐ろしいものもあるかもしれないが、普通の生活を送ってさえいれば、それを知ることはない。八瀬は秘匿主義なのでアリスも詳しくは知らない。
「俺にとってはさ、魔術って恐ろしいものなんだよ。才能はあると思うよ。先生は黄髪なんだけど、俺くらいの魔力量があればもっと上を目指すのにって言ってるし」
 アリスは『赤髪程度の才能で何自分に酔っているのか。同学年だけでも同等以上の才能の持ち主は単純計算でも千人近くいるのに』と思った。
 先生が魔術士として最低レベルの黄髪なのだから、そう思うのも不自然ではないか。
「俺が魔術を使ったから、死人が出たかもしれないんだ。それは反省すべきことで、だからその責任を感じるのであれば、もう気軽に力を使ったらダメだろ」
 マリアは『だからこそ、努力して魔術を自分の支配下に置くんじゃないか。努力してない人間が何を言っているんだ』と思った。
 悲劇のヒーローぶる前に、もっと練習して同じような事故を防ぐべきだ。
 それに、魔術の才能があったからこそ変質者に襲われた朱鷺子が助けられたのだ。
 全てを否定するのこそ逃げでしかないだろ、とマリアは不服だった。
 朱鷺子を見ると、恋する乙女の目になっている。マリアには努力不足を正当化しているだけに見えてしまうが、彼女にとっては違うのだろう。
 大後にはせめて最後まで朱鷺子のヒーローとして生きて欲しいな、とマリアは思った。
 しかし、そのためにはやはり努力が不可欠になる。
「それに、俺はみんなと一緒にいる方が楽しいしな。それで十分だろ?」
 クラスメイトの誰かが「みんなじゃなくて、相楽とだろ!」と揶揄した。
 すると、教室に笑いが満ち、カラッとした空気が優しげなものへ変化した。
 照れた笑顔の朱鷺子が言う。
「でも、大後の言うこと分かるよ。魔術士って別世界の話に聞こえちゃうし」
「別世界、ですか?」
「だって、魔術士と非魔術士って別の常識で生きているわけでしょ? ほら、ハデスブルング家の伝説で、魔術の才能を維持するために血族婚を繰り返したとかさ。もう同じ人間とか思っちゃダメなんじゃないかな」
「ハデスブルング家は確かに魔術士としての格を保つために無茶をしたらしいけど……。でも、結局はそれが原因で伝染病――青死病(あおしびょう)で滅んじゃったから、今では反面教師だよ。そんなことあり得ないってば」
 正直、マリアとしては遺伝病の危険を無視してまで力を追い求めたような連中と一緒にされるのは不本意だった。
「そうかもしれないけど怖いよね。魔術士は魔術士で勝手に頑張ってくれれば良いよ。私らは普通に生きるから。あ、大後はそっちの世界に行っても構わないからね?」
 ケラケラと笑う朱鷺子だったが、傍から見ても、それは「絶対に行かないで欲しい」という願いが込められていた。
 大後はボソッと「行くかよ。アホ」と呟いた。朱鷺子は嬉しそうに笑う。
 マリアは二人のような関係に多少憧れるが、だからこそ、大後はもっと努力すべきじゃないか、と思った。守るためには必要に迫られて力を振るうことがあるのだ。
 そんな姉に対して、妹のアリスは『ただの馴れ合いじゃないの』と呆れる思いだった。
 安心したのか、朱鷺子が満面の笑みで言う。
「それより、二人ともその玉子焼きどう? 私も手伝ったんだよ?」
 二人はほぼ同じタイミングで食べた。
「美味しいですね……」とアリスは素直に感想を言った。
「甘いんだね。ボクも好きだな、この味」とマリアも素直に感想を言った。
「そっか、良かったよ! えへへへっ」
 クラスメイトはとても良い人たちばかりだ。
 だからこそ、二人は住んでいる世界の違いや常識がとても重いものとして感じられた。

     *

 放課後、マリアたちはクラスメイトへの別れの挨拶もそこそこに、飛んで家に帰った。
 玄関を開けた瞬間、掃除をしている熊の着ぐるみが見えたので、二人は叫んだ。
「おい、もうちょっとまともな学校はなかったの! いくらなんでも酷いぞ!」
「お義兄様、アタシたちは学校に通いたいのです。動物園ではありませんよ?」
 幸太郎は「おかえりなさい」とのんびり返事した。
 そして、更なる文句が二人から飛び出る前に、彼は続けた。
「さぁ、手を洗ってきて。クッキーが焼けているから。それに、良い茶葉が手に入ったんだよ。今日はレモンティーにしようかな。角砂糖は二つで構わない?」
 マリアはしかめ面で指を三本立てた。その隣のアリスもコクコクと頷いた。
「分かった。角砂糖三つだね。着替えてからリビングに来てね」
 幸太郎の朗らかな対応に、マリアとアリスは目を合わせてため息をついた。怒りをぶつける前に、上手く対応されてしまったからだ。

 クッキーを食べながら、マリアもアリスも本日あったことを幸太郎に語った。
 アリスは皮肉交じりで、マリアはもうちょっと直接的な罵声交じりだったが、義兄は何故か嬉しそうに相槌を打った。ただ、大後の話を聞いた時だけ「……そうなんだ」と反応がすこしおかしかったが、その理由は分からなかった。
 幸太郎は良いタイミングで紅茶のおかわりを注ぎながら言う。
「もう友達できたんだ。それはとても良かったよ」
 マリアは何を聞いていたんだ、と呆れる。
「ちゃんと話聞いていたの? ボクらは怒っているんだよ」
「うん、ゴメンね。明日は頑張ってお弁当作るから期待してね」
「そっちじゃなくて! いや、そっちもだけど!」
 幸太郎は「うんうん、分かるよ」と頷いた。熊の着ぐるみだから表情は変わらないが、声音でその気持ちは二人にも類推できた。やたら楽しんでいる。
「そんなに楽しそうに文句が言えるなら大丈夫だよ。行きみたいに暗い顔して帰って来たらどうしようかなって心配だったけど、安心したよ。それなりに楽しめたなら十分さ」
 ボクらは望んでこの状況にあるわけじゃないけどね、とマリアは思った。
 アリスは半眼で幸太郎に訴える。
「正直、あんな授業では満足できません。天食学園に通っていれば読めた魔術書もたくさんあるのに……アタシはあんな学校に通っても無意味だと思います」
 マリアも無意味とまでは言わないが、効率が悪いと思ってしまう。
 幸太郎はゆっくりと噛みしめるように言う。
「本当にそうかな? 今日の昼休みだけでも十分勉強になったと思うけどね」
「えっ?」「はぁ?」
「例えば、今日、君たちはその朱鷺子ちゃんや大後くんの件でイライラしたんだよね? それはどうしてかな?」
 マリアは答える。
「だって、絶対に大後くんはもっと努力すべきでしょ。あの程度の努力じゃ、もっと危険な状況になった時、朱鷺子ちゃんとか他の友達とか守れないじゃん」
 アリスも答える。
「たかだか赤髪程度の才能で大げさだからです。大後さんの才能程度であれば、国家魔術士資格も中級がせいぜいでしょう。子どもが罹る狭い世界での万能感でしかありません」
 幸太郎は首肯する。
「うん、二人とも言ってることは正しいと思うよ。でもね、それは君たちがトップクラスの才能の持ち主で、天食学園で英才教育を受けてたからそう思うだけだよ」
「? どういう意味ですか?」
「彼らの立場になって考えてみるんだよ。良いかい? 人類の九十九パーセントは生まれつき魔術士の才能がないんだ。そういう人間にとって魔術は無関係なんだよ」
「ですが、現在の魔術文明の恩恵で生活しているではありませんか」
「じゃあ、アリスちゃんはそこにあるテレビの作動原理を完全に理解してる? 魔力駆動部分ではなくて、機械駆動部分の方ね」
 アリスは一瞬黙って「分かりません」と答えた。
「人間は便利なものを利用するけど、中身が分からなくても意外と気にしないからね。慣れってそういうものだし、人間には受け入れるだけのキャパシティがある」
 幸太郎は「僕もテレビの作動原理なんて気にならないからね」と笑い、話を続ける。
「で、魔術は無関係という前提で、大後くんや朱鷺子ちゃんの立場になって考えてみて。そうすると、魔術の才能なんかよりも今の学生生活の方がずっと大切じゃないかな? 中学生活は三年しかないんだ。一緒に過ごす時間はかけがえないって思うだろうね」
「ですが、お義兄さま、魔術士になれば社会的にも金銭的にも非魔術士より待遇は上ではありませんか。将来を考えれば、無関係なんて思うのはおかしいと思います。あまりにも無思慮で、現実逃避しているように見えます」
「それは理屈で、そう考えない人間もいる。それにさ、考えてみてよ。友達を大切にする彼らからすれば、天食学園の競争はありえないんじゃないかな? 友達というよりライバル。裏があるんじゃないか、と疑うギスギスした関係を見れば、バカじゃないのかって彼らは見下すだろうね。なんで友達から逃げてるんだってね」
 それは一理あるとマリアもアリスも納得できた。
 二人も敬護屋中学の生徒の方が天食学園の生徒より好ましいと感じていたからだ。
「他にもそうだね……二人は魔術で誰かを大きく傷つけたことあるかな?」
「ありません」「ないよ」
 天食学園では魔術を用いた戦闘訓練がある。
 これは魔術士の国家資格を取得する際、軍籍を与えられるからだ。
 ちなみに、魔術士が軍籍を与えられる理由は兵器以上に便利だから、、、、ではない。
 いざという時の戦力を期待しているのは事実だが、それ以上に国が魔術士を管理するためという目的があった。海外へ流出させないため、お金を配給する理由づけなどの意味もある。形ばかりだが、年数回出頭訓練の義務があるのだ。なお、それを避けるため国庫にお金を納めるシステムがあり、富の再分配をするという面もあった。
 マリアたちは戦闘訓練の成績も優秀で、同学年では敵なし状態だった。互いの戦績は全くの五分だが、あまりにも過剰に腕を競い合ってしまうので最近直接対決を避けていた。
 幸太郎はどこか真剣な口調で言う。
「大後くんは大切な人を守るためとはいえ、人間を傷つけたんだ。強がってるだけで、それを気に病んでる可能性はあるよね。訓練された兵士でも戦場で病む人間は多いからね。それでなくても魔術の世界は過酷な訓練と自制が求められる。その覚悟がないから関わりたくないという判断は賢明だと思うね」
 ふとマリアはいつも車椅子に乗っている義理の叔父のことを思い出していた。
 京二叔父は魔術の事故か何かで大きな怪我をして足が動かないのだ。そういった事例は少なくない。魔術の世界は危険がつきもので、彼女たちも覚悟の上で勉強に励んでいる。いや、危険を回避するため必死になっていると言い換えた方が正しい。
「ね? 違う立場の人間の考えがすこし見えてきたかな。これだって立派な勉強だよね。理解できないから見下すのはあまり良いことじゃないって分かるでしょ? マリアちゃんもアリスちゃんも正しいけど、彼らだって正しいんだ。どうしてその人がそういう発言をしたのか、一度考えてみることを僕は勧めるよ」
 多面的な思考は知性の高さの一つの基準になるからね、と幸太郎はまとめた。
「それは……言いたいことは分かりますが、詭弁ではないでしょうか」
「そうだね。だから、僕に解消可能な不満を一つ減らしてあげる。魔術の勉強については僕が手伝うよ。こう見えても、魔術書の蔵書数についてはちょっとしたものだから二人も満足できると思うよ。一言僕に断って欲しいけど、自由に読んで良いからね」
 アリスとマリアは目を合わせてから同時に頷いた。
 義兄がどれほどのものか知らないが、所詮は黒髪だ。魔術の勉強ができれば儲けもの。そうでなければ、文句を言ってやる。反省して元の生活に帰してくれるかもしれない。
 彼女らはそんな打算から幸太郎の提案を受け入れたのだ。

 ――幸太郎が冗談抜きに大量の魔術書を読み込み、彼女たちよりよほど知識があったと知るのはわずか数十分後である。
「アンタって料理上手だよね……」
「お菓子や食事のリクエストがあったらドンドン言ってね。なるべく応えるから」
「別にそういうのじゃないし! でも、寒くなってきたからシチューとか食べたいかも……いや、本当にそういうのじゃないからね!」
「あ、お義兄さま、マリアちゃんはホワイトシチュー派ですから」
「それはアリスもだよね! 自分が食べたいのにボクがリクエストしたみたいな雰囲気にするの止めてくれるかなっ!? そして、どうしてアンタは笑っているのさ!」
「いや、別に。今日の夕飯はもう支度しちゃってるからシチューは明日にするね」
「ちなみに、今日の夕飯は何なのさ?」
「炊き込みご飯に秋刀魚の塩焼きと豚汁だよ」
「……ふーん、まぁまぁね」
「マリアちゃん、素敵な笑顔になっているよ……そう言えば、近いうち調理実習があるようなのですが、いえ、別にマリアちゃんが睨んでいるのが怖いわけではありませんけど」
「うん、了解。二人のエプロン用意しておくね」
「ありがとうございます」
「……あんがと。それよりも、アリス。ボクのこと無理に腹ペコキャラにしようとしてない? 怒るよ。もしくは泣くよ」
 それまで、二人はクッキーとレモンティーに舌鼓を打った。

 余談だが、翌日の昼休み。
「うわぁ! マリアちゃんもアリスちゃんも弁当超気合入っているね! すごーい!」
 幸太郎が腕によりをかけて作った弁当は重箱で一人あたり三段にもなった。
「よ、よろしければ、すこしどうですか? 昨日のお礼ということで」
「そ、そうそう、ボクたちだけじゃ食べきれないし」
 スゴイスゴイとクラスメイトに騒がれて二人はやや気恥ずかしい思いをし、帰宅後、義兄に文句をぶつけることになる。

     四

 その日の朝、アリスは「今朝の目玉焼きがどうして両面焼きなのか」をマリアに注意されている幸太郎に話しかけた。
「あの……お義兄さま」
「ああ、アリスちゃん、おはよう。朝食の準備できてるけど、ちょっと待ってね。マリアちゃん、目玉焼きは堅焼きが良いって昨日は言ってたよね?」
「はぁー。今日は半熟の気分なの! ふぅ、兄のくせに妹の気分も分からないんだ」
「あれ? 兄って認めてくれているんだ。嬉しいなぁ」
「はあああああああああっ? そんなの言葉の綾だし、ふざけんなだし!」
 おはようございます……と尻切れトンボになりながらもアリスは朝の挨拶をした。
 マリアは朝からギャーギャーとずいぶん元気だった。変顔で幸太郎を睨み上げている姿は血の繋がりさえも拒みたい感じだが、朝から全力なのは素直に感心する。
 姉はこの数日でずいぶんと義兄に懐いたなぁ、とアリスはふと思った。
 それはここ数日、幸太郎が二人に魔術書の解説をしてくれているからだろう。
 丁寧かつ噛み砕いて教えてくれるのだが、下手したら天食学園の講師陣よりも優秀かもしれない。すごく分かりやすくて勉強になった。ついでに、手料理も美味しい。
 マリアはその努力を素直に感心した。尊敬さえしているようだ。本人が自覚しているかどうかは微妙だが、気楽にワガママを言って甘えるようになっていた。
 それに対し、アリスは幸太郎が普通の黒髪と何が違うのか気になって、そこまで素直に感心できなかった。読み込んだ魔術書の数は三千冊を超えているはずで、その努力は認める。全てを理解するレベルまで咀嚼するのは並みの人間では不可能だろう。
 しかし、黒髪に魔術士としての才能がないのも明らかなのだ。
 普通であれば、魔術の発動どころか術式の構築さえもできない。
 では、どうしてここまで努力したのか?
 その裏や事情を考えて、アリスはマリアのようには振る舞えなかった。
 魔力減衰薬なんて恐ろしいものを作り上げていることも減点対象である。
 むしろ、姉がどうしてあそこまで懐いているのか、本気で理解できなかった。
 アリスは「目玉焼きにはやっぱり甘口醤油だよね」という話題で意気投合し始めた二人に声を張り上げる。
「あの、お義兄さま! すこしよろしいでしょうか?」
 幸太郎は不思議そうに言う。
「ん? アリスちゃん、どうしたの?」
「はい、実は、あの、お願いがあるのですが……その、今日の夕方時間はありますか?」
「うん、大丈夫だよ。でも、改まってどうしたの? 借りた本の解説かな?」
 アリスはためらいながらお願いをする。
「いえ、実は……ク、クッキーの焼き方を教えて欲しいのです」

 義兄が普通の黒髪と違うことは理解できた。
 では、その違いが何なのか――そのヒントを彼女は幸太郎の部屋から見つけ出していた。そして、それを放課後に確かめようと思っていた。

     *

 お世話になったクラスメイトへ贈りたいから、という理由に幸太郎は快諾してくれた。
 そして、約束の帰宅後、アリスは幸太郎と一緒にキッチンに立っていた。
 今は彼女もエプロンを着用している。フリルつきの可愛らしいデザインで、数日前に家庭科の調理実習で使用するため購入したものだ。
 選んだのは義兄の趣味だが、マリアとお揃いになっていてアリスも嫌いではない。
 背後でマリアがウロウロと手持ち無沙汰にしている。多分、仲間にして欲しそうな目でこちらを見ているのだろう。話を振ってくれという態度が見え見えだった。
 アリスが姉を華麗に無視していると、幸太郎がボソッと質問してきた。
「ねぇ、マリアちゃんは放置して良いの? これ、クラスメイトへのお礼なんだよね?」
「ええ、マリアちゃんが手伝ってしまうと、お礼ではなくなってしまいますから」
「……この前の調理実習、そんなに酷かったんだ」
「非常に残念ながら……」
 二人のため息が合致する。
 背後でマリアが「うーっ、魔術書でも読んでよっ」大きな独り言と足音を残して去っていった。声音がす拗ねたを通り越して、すこし泣きそうだったことも付け加えておく。
 分け前として完成品(クッキー)を与えれば直る程度の機嫌なので、アリスは放置を続ける。悪いのは姉の料理センスなので罪悪感はない。いくら甘いモノが好きだからと言って、ロールキャベツに砂糖をぶち込む人間と料理などしたくない。
 幸太郎があらかじめ用意してくれていた材料がテーブルに並べられていた。
 アリスたちが今日作るのはチョコチップクッキーである。すぐに調理を開始した。
 まず、薄力粉とココアを合わせて、粉ふるいにかける。
 室温で柔らかくしていたバターをヘラで潰し、塩をひとつまみ入れてから泡だて器でクリーム状になるまで混ぜる。
 良いタイミングでグラニュー糖を投入し、更に混ぜる。
 卵黄を加えて、更に混ぜる。
 最初にふるった薄力粉とココアを加えて、更に混ぜる。チョコチップもここで投入。
 最後に、混ぜた生地を敷いたオーブンシートに、適切なサイズで置く。
 あとは、あらかじめ百八十度に温めておいたオーブンで十三分焼いて完成である。
 見守るだけになって、アリスは一息つく。難しい調理法は何もなかったが、混ぜる作業が多くて腕がパンパンだった。明日は筋肉痛になりそうだ。
 アリスはオーブンの中をジッと見つめて、クッキーが焦げないよう見張る。
 その時、幸太郎はボソッと声を潜めて言う。
「それで、アリスちゃんは何か僕に質問したかったんじゃないかな?」
「……はい。よく分かりましたね」
「うん、いくら料理が下手だからって、混ぜるくらいはマリアちゃんにもできるからね。遠ざけたのは二人きりで何か喋りたかったんじゃないかなって思っただけ」
 アリスはクッキーがこんな簡単に作れるとは思わなかったので、幸太郎の推理はやや的外れである。それに、姉だったら密かに砂糖を追加投入しようとして、間違えてお塩を増量させるくらいの失敗はあり得るので、絶対に台所へ入れてはダメだ。
 ただ、姉抜きで話がしたかったのは正解だった。実際、出て行ったマリアはなかなか帰ってくる気配がない。質問するなら今がベストだろう。
「実は一昨日、お義兄さまの本棚から借りた魔術書の中に『非魔術士による魔術干渉実験について』という本がありました」
「ああ、アリスちゃん、あれを読んだんだ」
「はい、あの中にあった非魔術士――黒髪はお義兄さまのことではありませんか?」
 アリスはそれが幸太郎の秘密ではないか、と考えていた。

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