ニューウェーブの先駆的雑誌へ(8)

 驚くなかれ、何と宝島社はかつてレコード会社でもあった。 正確にはそれ用の別会社を作ったのだが、1985年に誕生した「キャプテン」という名のレコードレーベルがそれである。 80年代に入り、ニューウェーブ路線に転向し成功した「宝島」だったが、その頃になると若者たちの人気は、 大物ミュージシャンもさることながら、むしろインディーズ(メジャーデビューしないで活動するマイナーなアーティストのこと)へと移り始めていた。 当然のこと「宝島」は、どこよりもそういう人気の流れに目ざとかったから、既に誌面はロックやパンクなど多くのインディーズ・バンドで賑わっていた。 「この人気は、絶対でかくなる。どうせだったら、自分たちでレコードレーベルを立ち上げてしまえ」たいしたノウハウもなく、しかも正社員はたった3名。 この無謀ともいえるフットワークの軽さは、しかし実に宝島らしいといえる。

 「宝島らしい」といえば、「キャプテン」発足の記念イベントはまさにその極みだった。新宿駅東口アルタ前で行われたそのストリートライブには、 集まった観衆がおよそ3000人。トゲトゲ頭に皮ジャンのパンク少年たちが地下アーケード街にまであふれ、まさに無法地帯寸前の事態になった。 この一件後、アルタ前ではその種のコンサート形式のイベントは一切禁止され、今に至っている。 出演はウィラードや有頂天など、いずれもパンク・ニューウェーブミュージックのリーダー的存在であり、ファンにとっては前代未聞のイベントだったのだ。

 肝心の売れ行きであるが、これが予想外の健闘を示した。第一弾であるウィラードの新譜は、LP盤のみながら1万5千枚をあっという間に完売。 その後も有頂天のシングルがオリコン・チャートにランクインするなど、数多くのインディーズバンドの出世作が世に送り出されていった。

新宿アルタ前はパンク少年たちで無法地帯寸前。そして平成元年、その波は日本中を巻き込んでいく

 さて、その後大爆発するバンド・ブームへの決定的なスイッチがもうひとつある。 「宝島」87年6月号、チェッカーズが表紙の「バンドやろうぜ!!」という特集号である。これが売れに売れた。 同タイトルの増刊号もすぐさま9月に発売され、翌年からは「宝島」から独立して月刊化された。 「宝島」が火をつけたインディーズ・ブームは、いつしか若者たちの間に「もう聴くだけじゃ満足できない。自分たちもバンドをやりたい!」という欲求を増幅させていたのである。

 この変化が、後に若者を中心に社会現象にまでなった、ある深夜番組の誕生につながる。 ご記憶の読者も多いであろう。通称「イカ天」、正式タイトルを「平成名物TV・イカすバンド天国」という。 1989年、平成元年。まさにバブルが頂点に達した年であった。(つづく)

文・前田知巳(コピーライター)


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