猪木との約束
を胸に、23歳の青年は虎の仮面を被った──。
8人が明かす「熱狂」舞台裏!
【特別インタビュー】佐山聡「引退の真相」
ダイナマイト・キッドとのデビュー戦。
あの試合の衝撃は一言でいえる。それは、リングに“モダニズム”を持ち込んだことだ。新日本プロレスが“ストロングスタイル”という思想性をアピールしていた時、現代風、新感覚主義のプロレスを形として、フォルムとして表現してみせた。従来の伝統的プロレス観、価値観を一掃してみせた。理屈よりも形としての美を優先させる。佐山の本能がそうさせたのだ。彼は小さな、偉大な革命児である。猪木イズムが生んだ突然変異ともいえる。(ターザン山本「はじめに」より)
令和の現在まで語り継がれる初代タイガーマスクの衝撃と熱狂。新日本プロレスブームを巻き起こし、国民的ヒーローとなった男は、わずか2年あまりでその仮面を脱ぐことを決意する。M・コステロ戦、クーデター事件、A.猪木監禁事件、ショウジ・コンチャ、突然の引退──。格闘技への思いを胸に秘めた“虎の衝撃”は、数々の歪な現実を引き寄せる。佐山氏へのインタビューと8人の証言で明らかになる初代タイガーマスクの真実。
本書は2021年7月に小社より刊行した単行本『証言 初代タイガーマスク 40年目の真実』を改訂・改題し、文庫化したものです。
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佐山 聡(さやま さとる) プロフィール
1957年、山口県生まれ。75年に新日本プロレスに入門し、81年、タイガーマスクとしてデビュー。空前のプロレスブームを巻き起こす。83年、人気絶頂の最中で引退。84年から第一次UWFに参戦。UWF崩壊後、85年12月にシューティング(現・修斗)を設立。98年、アントニオ猪木率いる「UFO」に参加し、小川直也を指導。99年、掣圏真陰流を設立し総監を務める。2005年には「リアルジャパンプロレス」を旗揚げし、初代タイガーマスクとして活躍。11年、「初代タイガーマスク基金」の理事長に就任。「健全な子供たちが育つよりよき社会づくり」を目指し、社会教育事業の推進や慈善イベントの開催などを行っている。
髙田 延彦(たかだ のぶひこ) プロフィール
1962年、神奈川県生まれ。80年、新日本プロレスに入団。84年に第一次UWFに移籍するも、活動停止後の86年から新日本に再参戦。前田日明の解雇により、88年、前田らとともに新生UWFを設立。大きなムーブメントを巻き起こしたが、フロントと選手間の不和などが原因で新生UWFは解散。91年にリングス、藤原組、UWFインターナショナルに分裂。髙田はUインターのエース兼社長に。“プロレス最強”を掲げ躍進するも、96年12月にUインターは解散。97年、98年の2度にわたりヒクソン・グレイシーとPRIDEのリングで対戦。2002年、PRIDE.23の田村潔司戦で現役引退。現在はRIZINの統括本部長を経て、解説などで大会を盛り上げる。
藤原 喜明(ふじわら よしあき) プロフィール
1949年、岩手県生まれ。72年に新日本プロレスに入門。新人時代からカール・ゴッチに師事し、のちに“関節技の鬼”と呼ばれる。84年に“テロリスト”としてブレイク。同年7月からは第一次UWFに移籍し、スーパー・タイガー、前田日明、高田伸彦(当時)らと、UWFスタイルのプロレスをつくりあげる。その後、新生UWFを経て、91年には藤原組を設立。2007年に胃がんの手術をするも無事生還し、今も現役で活躍中。
グラン浜田 (ぐらんはまだ ) プロフィール
1950年、群馬県生まれ。72年に新日本プロレスに入門。「リトル浜田」のリングネームで大きな選手を手玉に取り、前座戦線で注目される。75年にメキシコ武者修行に出る。リングネームを「グラン浜田」にし、最優秀外国人に選ばれるなどトップ選手に。79年2月の凱旋帰国後は新日本のジュニア戦線で活躍。84年4月に第一次UWFに参加。同年8月に全日本プロレスに移籍。96年、みちのくプロレスに入団。2002年からはフリーに。19年からメキシコへ移住した。