ニューウェーブの先駆的雑誌へ(7)
80年代前半、忌野清志郎やYMO、デヴィッド・ボウイなどと肩を並べて、ビートたけしやタモリらも「宝島」の表紙を飾っていたことは前に述べた。
ロックやファッションと同様、70年代までの常識を覆す「お笑いニュージェネレーション」の台頭を、当時の「宝島」が予見していたという証拠である。
おおらかでみんなが安心して笑える「旧来のお笑い」とはまったく別の、もっと若い人たちの感性に新鮮な刺激を与える新しいセンスを備えたもの。
そういう意味では、「宝島」においては「お笑い」ですら、ニューウェーブのロックやファッションと同等の「ポップ・カルチャー」として尊重されていたわけなのだ。
そのことを端的に象徴しているのが、永らく「宝島」の名物コーナーとして君臨している「VOW(バウ)」の存在であろう。
「VOW」とはVoice Of Wonderlandの略。「ワンダーランド」といえば、「宝島」が72年に創刊した当時の誌名であるから、
このコーナーがいかに歴史あるものかが偲ばれる。
さて、80年代半ばまでの「VOW」は、巻頭グラビアの後に位置する、音楽・ファッション・アート・タレント・イベントなどの最新トピックスを総覧的に紹介するコーナーであった。
しかし、「宝島」が版型をAB版(フォーカスやフライデーの大きさ)に拡大した1987年前後から、「VOW」は独自のお笑い路線を猛スピードで走り始める。
従来からあった、街で見つけたヘンテコな看板や駄菓子のパッケージを茶化して笑うというパートをより前面に押し出し、投稿コーナー化したのだ。
ネタを創作するのではなく、実在するモノや人の「ダサさ」「くだらなさ」「バカさ」を見つけ、ニヒルに茶化しを入れることでネタ化する。
それはお笑いで言う「ボケとツッコミ」のボケ部分の「天然化」「ドキュメンタリー化」のさきがけであった。
この流れは後に、「電波少年」に代表されるテレビバラエティの主流として、90年代に開花することになった。
この「VOW的笑い」が当時からいかに受け入れられていたかは、87年に単行本化された「VOW」第1弾が65万部を売るベストセラーになったのを皮切りに、
その後もヒットを連発する名物シリーズになったことでわかる。
他社の雑誌も、「VOW」まがいの企画をこぞって掲載した。
「ボケとツッコミ」のドキュメンタリー化…宝島がなかったら、90年代のお笑いはなかった!?
さて、前述した87年の誌面拡大は、かねてより社長である蓮見清一が進めてきた「宝島ビジュアル化戦略」の仕上げともいえるのであるが、その思惑通り、販売部数の拡大もさらに加速した。
何より広告収入が増え始めたことが、この雑誌の本格的なメジャー化の到来を物語っていた。
同時に「宝島」はこの頃から、80年代初頭のニューウェーブ期に続き、若者たちの音楽カルチャーに決定的な影響を及ぼしていくことになる。(つづく)
文・前田知巳(コピーライター)
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