ヘアヌード維新(5)
1992年のヘアヌード掲載を期に、テレクラ、ブルセラ、イメクラなど、後に風俗業界の構造改革にまで至る「革新的エロ路線」を築いた「宝島」。
今だに各メディアで人気を博す「アイドルお宝モノ」「アイドル発掘モノ」という企画の発火点でもあり、
かつて「古本屋」と言われた存在の一部が「レア級のお宝モノ・発掘モノのディーラー」として業態変革するまでに至っている。
また、テリー伊藤いわく「手が届かなそうで届きそうな」絶妙なキャラクターを持つ女の子を次々にグラビアモデルに抜擢し、
しかも彼女たちはことごとく人気を集め、メジャー・タレントとしての階段を駆け昇っている。
ヘアヌード掲載以降の「宝島」を指して、「あの雑誌は単なるエロ本に成り下がった」という人がいるが、
こういう経緯を見ると、「宝島」がエロという領域に踏み込みながら、実は社会的な影響をしたたかに与え続けてきたことに気付く。
「振り返ってみれば、80年代までは何とか『サブカルチャー』という概念が存続している時代だった。
なぜならそれが対抗し得る『メインカルチャー』が世の中にまだ残っていたからです。永らく『サブカルの雄』として在り続けた宝島が90年代に入ってヘア掲載に踏み切った時点で、
それは『サブカルチャー』と『メインカルチャー』両方の終焉を意味したんでしょうね」法政大学の稲増龍夫教授はそう分析する。
90年代、「エロ」の最先端を築いてきた宝島。「読者を裏切る雑誌」その本領がいよいよ発揮される
思えば「サブカルチャー」とは、世の中の権威を象徴する硬直した文化に反発し、風穴を開け、新鮮な空気を送り込むダイナマイトのような役目を果たす機能だった。
しかしそういう意味では、「宝島」が90年代に入り、革新的エロ路線に踏み切った道筋も、まさに理が通ったものだという気がしてくる。
言い換えれば「宝島」にとっては、あくまでもそれまでのポップ・カルチャーと同じ役割として「エロ」を捉えていたのだと思えてならない。
或いは70年代の「ヒッピー文化」、80年代の「パンク&ニューウェーブ文化」の遺伝子を引き継ぐ「過激・先端」の延長として「ヘア掲載」があったと言えばお分かりであろうか。
いずれにせよこの雑誌を「単なるエロ本」という範疇で括ることは、既に発行部数が40数万部を記録するという事実の前では到底出来ないであろう。
さて、この雑誌の性格としてもうひとつ、忘れてはならない重要なことがある。
それは人々が「宝島ってこういう雑誌だよね」という常識を持った途端、アッと驚く裏切りぶりを発揮してきたという歴史である。
この誌面をお読みの方の多くもそうかも知れない。エロ・風俗ファンはさぞかし残念がるであろう。
もうすぐ「宝島」は、エロ路線から完全に撤退する。(つづく)
文・前田知巳(コピーライター)
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