書籍
父・横山やすし伝説
矛盾だらけの父親に溺愛されつつも翻弄された日々

一八(かずや)、飛行機を買いに
アメリカに行くぞ!
心の底では“なんじゃそりゃ!”
ばっかりやった
息子・木村一八が初めて語る、
破天荒な
天才漫才師の真の姿
横山やすしがラジオ「漫才教室」に初出演したのが、1958年1月。ちょうど60年がたちました。このタイミングで、父についてまったく語ってこなかった息子の木村一八が、父について初めて本を書きます。彼が知っている父・横山やすしは、人々が知っている横山やすしとはまったくの別人。家で子どもに手を上げたことはたった一度だけ。家では非常にやさしい男だったのです。さらに、一八だけが知っているエピソードも満載。一八が聞いたやすしの最後の言葉は「愛人の面倒をよろしく」だった。さらに愛人と本妻との直接対決の場面でとった横山やすしの驚くべき行動とは。誰も知らないその矛盾に満ちた横山やすしの生涯が初めて明らかになります。
横山 やすし(よこやま やすし) プロフィール
1944年3月18日、高知県生まれ。大阪・堺で育ち、14歳で天才漫才少年としてデビュー。1966年に結成した西川きよしとの「やす・きよ」でブレイク。一躍、上方一の漫才師となるが、1970年のタクシー運転手傷害事件で2年4カ月の謹慎。しかし、復活後、再度「やす・きよ」は大人気を博し、日本一の漫才師に。『TVスクランブル』など数々の伝説番組に出演するが、1988年の息子の傷害事件とそれに続く本人の飲酒運転による人身事故で吉本を解雇。1992年には参議院選に立候補するが落選。その直後、暴漢に襲われて一時重体になり、その後も言葉は不自由になる。次第に酒に体を侵され1996年1月21日、肝硬変で死去。享年51。
木村 一八(きむら かずや) プロフィール
1969年11月17日、大阪府堺市生まれ。幼年期の3歳から10歳まで父親とは別々に暮らす。10歳以降、父親と摂津で暮らし、横山やすしの長男として14歳で芸能界デビュー。『毎度おさわがせします』などのテレビ番組で、ワイルドで甘いマスクが話題となる。その後も数々のドラマ、映画に出演するが、19歳のとき傷害事件で少年院に。少年院を出たあと、芸能界に復帰するが、その後も傷害事件を起こし、活動の場をVシネマに移す。2018年現在、グローバルな俳優を目指して中国映画などに出演予定。