ニューウェーブの先駆的雑誌へ(6)

 世の中の人気ほど、気まぐれで、めまぐるしく変化するものはない(日本では特に)。 その変化のスピードより、さらに速く変化する―「宝島」というメディアの本領は、まさにその1点に集約されると思う。 例えれば、常に全力で時代と駆けっこをしているようなものだ。ゴールなんかないのはとっくに承知の上で。 85年1月号から踏み切った「A5版なのにオールカラー」という出版史上空前絶後のスタイルは、まさに「宝島」のそういう性格を象徴する大変化だった。 このカラー化によって、この雑誌のファッション情報源としての地位は飛躍的に高まっていく。

 「それから数年後の話ですが、MILK(当時から人気のあったファッション・ブランド)の大川ひとみさんから頼まれて、 まだハタチそこそこの、顔も名前も誰も知らない男の子二人に連載ページを持たせて、それがまた評判になったりね」当時編集長だった関川誠(現・宝島社取締役)はそう語る。 90年代後半から若者たちの一大主流を占めている「ストリート系ファッション」の発火点は、その頃の「宝島」にあったと言い切ってもいい。 ちなみに、その素人同然の男の子二人は、高橋盾(「アンダーカバー」というブランドの創始者)とNIGO(「エイプ」というブランドの創始者)といい、 今や若い子たちの間では「裏原宿(うらはらじゅく)のカリスマ」として、神様のような存在になっている。 年頃のお子さんをお持ちの読者の方は、今夜あたり彼らの名前を挙げたりしてみると、「父さんスゴーイ!」と、ちょっとは尊敬されるというものだ。

 いずれにせよ、「宝島」の先駆的ファッション誌としての側面は、新たな読者層を着実に開拓する効果を生んだ。 人気とは駆け足なもので、それまでのように「ニューウェーブ界の大物」を表紙にすれば売れる、という法則は早くも崩れ始めていた。 出版業界の常識から逸脱した「オールカラー化」への断行は、なおさら鮮やかな「次の一手」であったといえよう。

アンダーカバー、NIGO…あなたのお子さんが崇拝するキーワードは、10年以上前の宝島にあった

 1986年、「宝島」の発行部数は、ついに10万部の大台を突破した。 当時、この雑誌が読者にとってどういう存在だったかを物語るエピソードがある。

 部数拡大の勢いを駆って、「宝島」は初めて新聞の全国紙に広告を打った。 ところが、その結果殺到したのが、「広告なんかやめて!」という宝島ファンからの苦情である。 実際は10万部を売る大型雑誌に成長していながら、ファンにとっては「限られたセンスある人が愛読する、通な雑誌」だったわけである。 この年、日本の対外純資産が世界一になったことを大蔵省が発表。 人々を狂乱させるバブルの嵐が、ついに巻き起こり始めた。(つづく)

文・前田知巳(コピーライター)


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