ヘアヌード維新(4)

 雑誌初のヘアヌード掲載を皮切りに、テレクラ、ブルセラ、イメクラと、風俗界に次々とニューウェーブを巻き起こしながら、「宝島」は94年、ついに発行部数20万部を突破した。 ヘア掲載決断の折に、宝島社社長・蓮見清一が掲げた「特定の少数読者から、不特定多数読者の獲得を目指す」大衆化路線への転向という目論見は、着実に実を結びつつあった。 そこへ来て、かの「ヘアの巨匠」カメラマン・加納典明の逮捕という、騒然たる事態が勃発したのであるが、これは「宝島」編集陣にとっては、「やはり来るものが来たか」という感があった。 実際この時、出版業界では「典明の次は宝島だ」という噂さえ流れた。

 そもそもヘア掲載を決断した時から、編集陣には逮捕覚悟の心構えが十分にあった。 が、この一件以後、ヘアに関しては毎号、神経をすり減らしながらギリギリの線を模索した。 エロの最前線を開拓しながら、「宝島」が未だかつて一度も逮捕の憂き目を味わっていない裏には、繊細かつ砕身の配慮と苦労があった。 とはいえ、最大の売り物であったヘアヌードは、もはやその頃、キオスクで売られる一般の週刊誌でも掲載されるほど日常化し始めていた。 いつまでも「ヘア」が目玉でいられるほど、世の流れは甘くはない。 しかし「宝島」は、そういう時代のハイスピードぶりを相手に、心憎いほどしたたかな二矢・三矢を放っていく。

 「サブカルライターの本橋伸宏氏が『昔手掛けた雑誌で、中森明菜を撮った同級生の写真を掲載したら、異常な位の反応だった』とふと教えてくれたのが、 アイドル発掘グラビアのヒントになったんです」(小森晶子・現「宝島」副編集長)。 ゲンダイの読者諸氏ならピンと来るであろう。今や写真週刊誌をはじめ女性誌でさえ人気を極め、 専門誌まで10誌も出ている「アイドル発掘モノ」「アイドルお宝モノ」という企画は、ここから生まれたのだ。

男のナニを立たせる絶妙なツボとは…!?天才・テリー伊藤がズバリ、「宝島人気」を分析する

 「宝島」はグラビアモデルの選び方も絶妙である、と指摘するのは、テリー伊藤である。 「今だったら、釈由美子とか酒井若菜とか、男たちに『このコもしかしたら手が届くんじゃないか』っていうモデルをうまく見つけてくるんだよね。 男って、そういうトコに興奮するんだよ。それって、例えばCM女王とか言われるタレントの水着姿じゃ絶対味わえない魅力なんだ」。 「俺、よくヌードとかなるようなコにね、『プレイボーイ』的な、例えばサイパンのビーチで健康的に裸になるみたいな幻想は捨てろ、って言ってるの。 錦糸町の魚屋の陳列棚でウロコまみれになってる裸の方が、よっぽど男のナニは立つってね。『宝島』はそこら辺、すごくよく分かってるんじゃないかな」。 男のナニを立たせることで、「宝島」は時代のツボを押さえていく。97年、発行部数は38万部近くにまで達していた。(つづく)

文・前田知巳(コピーライター)


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