社会人で作家デビュー
人生経験が生んだ“職人”作家としての道
――作家を目指したきっかけについて教えてください。
もともと小説家になろうとは考えていませんでした。会社員として大阪に単身赴任していた頃、偶然、島田荘司さんのサイン会に行ったんです。直接ご本人にお会いして、「今小説を書かなければ、一生書かないだろう」と強烈に思ったんですよね。その足で電気屋街に行きノートパソコンを買って、書き始めました。最初はせっかく最終選考までいったのに落選しましたが、悔しさから書き続けたら、大賞をいただいてデビューに至った。そういう流れです。
――それ以前は書いていなかったのでしょうか。
高校時代に文芸部に入り、乗り気ではないまま短編を書いてはコンテストに投稿していました。そうしたら一度「オール讀物新人賞」の三次選考まで残ってしまって。けれども「才能がないな」と感じてすっぱりやめ、25年ほどはまったく書いていませんでした。だから、本格的に再開したのは社会人になってから、島田さんにお会いしてからです。今振り返れば、当時は書くための人生経験が圧倒的に足りていなかったんでしょう。大賞をいただいたとき、この一作で終わったら物笑いの種になってしまうと思い、なんとか生き残ろうと考えました。僕は職人タイプか、芸術家タイプか。職人タイプなら量産が必須だと気づきました。そのためにはどうすればいいかを一生懸命考え、取り組んだ結果が今のようなスタイルです。挫折も失敗もあまりしていない10代で傑作を書ける人は、ごく一握り。僕の場合は遠回りしましたが、その25年間で得た経験が今のアイデアの大部分を占めています。無駄な寄り道なんて、実はひとつもなかったのかもしれません。
15年間で85冊を刊行
驚異的なスピードで作品を生み出す執筆スタイルとは
――今はどのような執筆スタイルなのでしょう?
毎日だいたい16〜17時間は机に向かっています。今は8本の連載を同時に進めていますが、混乱しないのは、最初から最後まで物語が頭の中で完成しているから。あとはその物語をダウンロードするだけ。つまずくことも迷って行きつ戻りつすることもありません。だから、ほとんど修正はしません。推敲しないのは、担当編集さんにも驚かれますね(笑)。
――作品が頭の中で完成するのは、どんなタイミングですか?
最初に3日間だけ時間をいただきます。その間に2000字以内でまとめたプロットを編集者に提出し、OKが出れば翌日から執筆開始。出版社からはざっくりとしたテーマをもらうことが多く、それに沿って物語を考えます。読者が読みたいものを書くことを大切にしていますが、それを一番知っているのは担当編集者。編集者との対話から汲み取り、面白いと思えるものを書ければ失敗はない。3日間はメモを取らず、ひたすら頭の中で構築します。漫画でいうとアタリからセリフ決め、スクリーントーンを貼る直前まで仕上げるイメージです。そうでなければ量産はできません。現在までに85冊を刊行していますが、15年でこの数字ならまずまずだと思いますね。長編はコク、短編はキレが勝負。どこに重きを置くかで構成はまったく変わります。宝島社の「ショートショート」シリーズは最後の一行が勝負なので、そこから逆算して組み立てます。長編と短編、それぞれの“筋肉”を使い分けなければ、作品の幅は広がらないと思っています。
中山七里(なかやま・しちり)
作家
1961年、岐阜県生まれ。第8回『このミステリーがすごい!』大賞を受賞し、2010年に『さよならドビュッシー』でデビュー。他の著書に『おやすみラフマニノフ』『連続殺人鬼カエル男』『護られなかった者たちへ』(以上、宝島社)、『能面検事』(光文社)など多数。
Official Website
https://nakayama-shichiri.com/
※記事の内容は取材当時のものです

