昭和タブー事件「50年目の真実」
「左から右へ真一文字。ヘソを中心に右へ5.5センチ、左へ8.5センチ、深さ4センチ」
いまよみがえる壮絶な最期と決意!
死因は頚部割創による離断。左右の頚動脈、静脈がきれいに切れており、切断の凶器は鋭利な刃器による、死後24時間。頚部は3回は切りかけており、7センチ、6センチ、4センチ、3センチの切り口がある。 【三島由紀夫「解剖所見」より】
衝撃の「割腹自殺」から半世紀。あの日、市ヶ谷の自衛隊駐屯地総監室のなかで何があったのか。50年の時を経て、三島由紀夫の覚悟と決意がよみがえる。発掘された検視写真と11・25ドキュメント。法医学者が語る三島の「最期」。事件に関わった人々の「それから」。そして歴史のなかに位置付けられた三島文学の価値。戦後日本のターニングポイントとなった「三島事件」を新たな資料から読み直す。