伝説のヤクザは語った。
宅見若頭暗殺の内幕、
五代目追放劇の真相
田岡三代目のために体をかけて懲役16年。
「大阪戦争」最大の功労者、その苛烈すぎる半生!
権謀術数渦巻く巨大組織中枢の生々しい暗闘!
司(忍・現六代目組長)は、その(五代目による)
“子殺し”(宅見若頭暗殺)の証拠を五代目に突きつけた後、
入江(宅見若頭の“子”)の方に向き直って
こう言うたんや。「親の仇は取らなあかん!」と。
この司の一言で決着がついた。
五代目は観念しよったんや。(本書より)
盛力 健児(せいりき けんじ) プロフィール
1941年5月29日、香川県三豊郡(現・観音寺市)に生まれる。1967年5月3日、山本健一・山健組組長(後に三代目山口組若頭)から親子の盃を受け、若頭補佐として山健組入りし、「盛力会」を設立。1979年、大阪戦争の最中に起こったベラミ事件(敵対する松田組傘下組織による田岡一雄・三代目山口組組長銃撃事件)で報復の先陣を切り、大阪府警捜査四課に逮捕される。1980年3月、懲役16年の実刑が確定して宮城刑務所に。1989年6月、獄中で五代目山口組の直参に昇格。1996年、同刑務所を出所し、以降、五代目山口組、六代目山口組の直参として盛力会を率いるが、2009年2月、山口組内の直参大量処分騒動に巻き込まれて除籍処分を受け、引退。2004年、中国「嵩山少林寺」の素喜大師から弟子と認められ、引退後は嵩山少林寺グループの会長として道場の設立を目指す。法名「釋徳盛(シャクトクセイ)」。著書に自叙伝『鎮魂 さらば、愛しの山口組』(宝島SUGOI文庫)