桶狭間の戦いは「奇襲」ではなかった!
戦略のプロが検証する
戦国武将の用兵術!!
元陸上自衛官が戦略・戦術で解き明かす、戦国武将たちの“真実の戦史”。信長の「奇襲」で歴史上最も有名な桶狭間の戦いは、奇跡的勝利ではなく、力と術と練り上げた戦略で打倒する正面突破の戦いであった!毛利元就、織田信長、豊臣秀吉、真田父子ら、覇権をめざした武将たちは、どのような戦略的思考で戦に臨み、どのようなリーダーシップで人を動かしていったのか。戦国武将たちの「真実」を大胆検証する。
本書は書き下ろし文庫です。
目次
- 参考文献
合戦年表
まえがきにかえて
なぜ、今、戦国時代に学ばなければならないのか/戦国時代の戦略と謀略/戦国武将の戦術・戦法/究極の人間学“統帥”について
column 1 道灌流戦略十五条 ~臨機応変でなおかつ基本を重視~
第一章 乱世を生き抜く知謀 毛利元就
◆毛利家は日本有数の兵法の伝道者
当初の毛利家の知行はたかだか一万石/元就初陣! 有田中井手合戦/知略! 相手の裏切りを画策して勝利
◆毛利の生き残りをかけて大内と尼子を両天秤に
尼子から大内に帰参し領地拡大/宍戸氏との連携で勝利した安芸郡山城の戦い/元就の合戦の基本パターン、郡山合戦/ニセ情報を駆使した謀略戦
◆天下取りをあきらめるも中国を統一した毛利帝国
毛利両川体制の完成/厳島の戦いに見る毛利の戦術/毛利と水軍/中国統一、水軍と石見銀山で経済力をつける/嫡男の死で天下取りをあきらめた元就
column 2 謎の外交僧 安国寺恵瓊
第二章 孫子兵法の体現者 武田信玄
◆第一期 信濃中枢部侵攻作戦(一五四二~一五四五年)
諏訪攻略のため軍道「棒道」を整備/今川の力を借りて上伊那攻略
◆第二期 中信濃・南信濃侵攻作戦(一五四六~一五五四年)
志賀城攻めで活躍した工作部隊の金堀衆/武田騎馬隊の“勢い”で塩尻峠を勝利/力攻めから調略に方針転換! 砥石城を攻略/“戦わず”して木曾義昌を懐柔/松尾城攻略に国人衆を調略
◆第三期 北信濃・西上野侵攻作戦(一五五五~一五六七年)
北信濃攻略に立ちはだかった上杉謙信/西上野攻略は北信濃攻略の支作戦だった
◆第四期 駿河侵攻作戦(一五六八~一五七一年)
武田包囲網を外交戦により突破
◆第五期 西上作戦(一五七二~一五七三年)
東方戦線の勝利がもたらした遠江・美濃への侵攻/家康軍を壊滅させた三方ヶ原の戦い
column 3 謙信流足軽戦法「五段瀬越」
第三章 天下布武の戦略 織田信長
◆起死回生! 桶狭間の「急襲」
今川が狙った肥沃な濃尾平野と伊勢湾交易/今川を正面から力と術で打倒
◆迫りくる「信長包囲網」に内線の利で攻勢
攻勢する敵方の内部に拠点を確保し内線作戦/強力な僧兵組織を前に必然だった“比叡山焼き討ち”
◆天下人への最終戦略、圧倒的火力と軍団整備で各個撃破から多面作戦へ
常備軍団の機動力と大量の火薬で勝利/高天神城を見殺しにしてまで、徹底した各個撃破/地方軍団制度を確立し多面作戦へ
column 4 信長と城 ~守りではなく攻めるためにある~
第四章 心の争奪戦で天下統一 豊臣秀吉
◆「略」と「術」と「勢い」で信長の後継者へ
本能寺の変、秀吉の電光石火の機動行軍/天王山の戦術的価値を軽視した光秀の驕り/天王山山頂から光秀軍に襲いかかる
◆巧みな内線作戦で包囲網を崩し、天下平定戦へ
京の朝廷と堺という「経済基盤」を手中に/勝家の「秀吉包囲網」対秀吉の内線作戦/最終決戦! 賤ヶ岳/五十キロを五時間! 事前に完璧な兵站
◆圧倒的な物量戦と巧みな心理戦で戦乱の世を統一
武力だけの統一に限界を感じ「大儀名分」を朝廷に求めた/小田原を陸と海の四周から完全に包囲する外線作戦/諸将の意見を採用する形を取った持久戦/心の争奪戦と兵站の重要性を知り尽くす秀吉
column 5 切支丹禁止令 ~日本を救った豊臣秀吉の英断~
第五章 若すぎた奥州の覇者 伊達政宗
◆伊達政宗は“奥州の織田信長”だった?
プリンスとして生まれた政宗の血統/ナマヌルイ東北の戦いの常識を覆す/人取橋の戦い ~敵失で生命を拾った若き日の政宗
◆摺上原合戦 ~巧妙な内線作戦で蘆名軍を戦場に誘き出す
日本戦史において極めて希な「戦場での包囲殲滅戦」
column 6 日本のドラグーン戦術 ~伊達の騎馬鉄砲隊~
第六章 九州制覇の夢破れる 戦国島津家
◆戦国島津家が誕生! 南薩の本家争いに勝利
本家の養子になる貴久
◆九州制覇に向けて、島津四兄弟の勇猛果敢な攻勢
薩摩、大隈は地形的に守り易く、攻め難い/「三州統一段階」は南薩を根拠地とした内線作戦/「九州の桶狭間」、木崎原合戦/敵を引きつけ、引き込み、完全包囲する「釣野伏せ」/「領地拡張段階」の第一段階、西岸地域での内線作戦/城に入らず、待ち伏せ勝利、沖田畷合戦/領地拡張の第二段階、九州北部へ進出/屈辱的な秀吉の「九州国分け」
◆豊臣軍本隊の九州到着! あと一歩で守勢に転移
戦闘では勝利だが戦略的意味なし、戸次川合戦/秀吉から九州侵攻の軍令は発せられた/秀吉に降伏! しかし政略で三州は守る
◆西国最強の戦国島津家、その秘訣は忠良の精神教育「いろは歌」にあり
日新公いろは歌
column 7 慈悲の心が生み出した独創的な戦術・戦法
第七章 日の本一の兵 真田三代
◆真田幸隆の戦略 ~信濃の国人を寝返らせた調略~
幸隆の調略で村上の砥石城が落ちる
◆真田昌幸の戦略・戦術 ~大大名に四方を囲まれた生き残りの戦い~
当初は上杉対策で作られた上田城/勝利の要因は短期決戦、徳川に圧勝した第一次上田城合戦/再度徳川の主力を打ち破った第二次上田城合戦/戦略的狙いは一日でも長く秀忠を留め置くこと
◆真田幸村の戦略・戦術・戦法 ~大坂の陣の獅子奮迅~
昌幸の東軍迎撃プラン/大坂冬の陣、幸村、真田丸で奮戦す/真田丸という武田流築城術の優位性/大砲という新兵器/夏の陣、真田は日の本一の兵/伊達の騎馬鉄砲隊を破った真田の“猟師”隊/天王寺の戦い/家康は切腹を覚悟した
column 8 家康による上杉攻撃のもう一つの側面
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