零戦誕生から飛び続けた
最後のパイロット98歳
「命令されたら仕方がない。俺は逝くよ」
と戦友は言った。
「俺はいやだ」、私は答えた――
98歳を迎えたいま、伝えなければならないことがある――。中国戦線での初陣、悔しさをかみしめた真珠湾攻撃、艦隊上空を護衛する最後の一機として見た空母「飛龍」の炎上、血に染まるガ島の空、「おっかさん」と呟いて逝った戦友、「あんたが死んだら私も死ぬ」と泣いた妻、特攻、そして、散華していく教え子たち。零式艦上戦闘機(ゼロ戦)誕生から飛び続けた、最後の歴戦搭乗員が語る、零戦と戦争の真実の記録、そして未来への伝言。
原田 要(はらだ かなめ) プロフィール
大正5年、長野県生まれ。昭和8年、海軍に志願。昭和10年、横須賀航空隊、航空兵器術練習生を経て空母「鳳翔」乗り組み。昭和12年、操縦練習生35期を首席で卒業。同年、第一二海軍航空隊として中国に進出。昭和16年、空母「蒼龍」に乗り組み、真珠湾作戦では上空直掩隊として艦隊上空を警戒。セイロン島空襲で初撃墜を記録。昭和17年、ミッドウェー海戦に参加。くしくも、空母「飛龍」から発艦した最後の零戦となる。ガダルカナル島の戦いで空戦の末に不時着、重傷を負うが九死に一生を得て帰国。以後は教官職で終戦を迎える。最終階級は中尉。総撃墜機数は協同撃墜を含め19機。終戦後、職を転々としたあと幼稚園の経営を開始する。2015年現在も子どもたちとふれあい、平和を説く日々を送る。著書に『零戦(ゼロファイター)老兵の回想』(桜の花出版)、『戦争の嘆き 戦争を止められるのは若者とお母さんです』(イッツ・エンタープライズ)などがある。