第21回『このミステリーがすごい!』大賞 大賞受賞作
「認知症の老人」が「名探偵」たりうるのか? 孫娘の持ち込む様々な「謎」に挑む老人。日々の出来事の果てにある真相とは――? 認知症の祖父が安楽椅子探偵となり、不可能犯罪に対する名推理を披露する連作ミステリー!
<最終選考委員選評>
●レビー小体型認知症を患う老人が安楽椅子探偵をつとめる“日常の謎”系の本格ミステリー連作で、ラストがきれいに決まっている。(大森望/翻訳家・書評家)
●マニア心をそそられる趣向が凝らされており、古典作品へのオマージュも好印象。ディーヴァーのリンカーン・ライムのヴァリエーションのようだ。(香山二三郎/コラムニスト)
●キャラクターが非常に魅力的。彼らの会話がとっても楽しい! 全体を通しての空気感、安定感が秀逸でした。魅力的な物語を書き続けていける方だと確信しました。(瀧井朝世/ライター)
<あらすじ>
かつて小学校の校長だった切れ者の祖父は、71歳となった現在、幻視や記憶障害といった症状の現れるレビー小体型認知症を患い、介護を受けながら暮らしていた。
しかし、小学校教師である孫娘の楓が、身の回りで生じた謎について話して聞かせると、祖父の知性は生き生きと働きを取り戻すのだった!
そんななか、やがて楓の人生に関わる重大な事件が……。
ANN構成作家が『このミス』大賞受賞!
著者・小西マサテルさんに、南原清隆さんとの運命的な出会いから
現在までをインタビュー!!
受賞作を執筆した小西マサテルさんは、ラジオ番組の構成作家。『ナインティナインのオールナイトニッポン』や『徳光和夫 とくモリ!歌謡サタデー』をはじめ、数々の人気ラジオ番組を担当しています。
発売に先駆けて、受賞インタビューを敢行。ミステリー漬けだった少年時代から、学生時代の南原清隆さんとの出会い、本作を書いたきっかけまで伺いました。
王道ミステリー作品で育ち、
南原清隆さんに惹かれて落研へ
小学生の頃は、今の100倍は本を読んでいて。ミステリーでいうと、最初はやっぱり「少年探偵団」シリーズや、「シャーロック・ホームズ」シリーズから入ったのですが、世の中には名探偵というものすごい仕事があるのだなと仰天しつつ、強烈に憧れました。勢いあまって電話帳をめくって(当時住んでいた)高松市の探偵事務所に電話して「弟子にしてください」って頼んだほどです。そのとき応対してくれた若い女性が今思えば非常に洒落ている方で、「うちの先生は難事件を解決するため海外に行ってまして」と。「いつか帰国したら先生から連絡してもらうから待っててね」みたいな素敵なことを言うんですよ。なので、その連絡を心待ちにしつつ(笑)、中学あたりからクリスティ、クイーン、カーの御三家に夢中になっていくという、いわば“王道”を歩んでミステリーの世界にハマっていったんです。世代的に非常に幸せだったなと思うのは、この三人が当時まだ存命中だったということですね。まだ見ぬ名探偵という存在を、実在する彼らに投影していました。だから、いまだに「名探偵」と聞くとゾクゾクします。
高校では落語研究会に入りました。というのも、部長が南原清隆さんだったんです。世の中にはこんな面白い人がいるんだ、こんなに面白い表現方法があるんだと衝撃を受けました。
落語の発端の意外性とオチって、ミステリーと親和性が高いんです。高校時代はミステリーと落語漬けの毎日でしたね。僕の中で南原さんの存在は大きくて、南原さんが上京したのに合わせて自分も東京の大学へ。南原さんがウッチャンナンチャンとしてデビューを果たすと、やはり背中を追いかけて漫才コンビを組んで、『お笑いスター誕生!!』などに出るようになりました。
そのうち芸人としての仕事が忙しくなってきたので、大学は留年。相方は先に卒業して就職しましたから、しばらく抜け殻みたいになっていました。田舎の父はさぞかし怒っていたでしょうね。
そんなとき、コント赤信号の渡辺正行さんが「俺がやってるラジオ一緒にやる?」と声をかけてくれたんです。そこから放送作家として仕事をやっていくようになりました。もともと漫才のネタも書いていて、文章を書くことに抵抗がなかったこともこの仕事を続ける要因になったと思います。大学のほうは単位ギリギリ、逃げるように卒業しました(笑)。
筆を執ったきっかけは、
レビー小体型認知症を患っていた父の存在
僕が中学2年のときに病弱だった母が亡くなったので、それから上京前まではずっと父と二人暮らしです。一人っ子といっても、実は兄と姉が幼いときに亡くなっていたこともあって、父は厳しくはあったけれど、「お腹を冷やすと大変だから」と、冬場は黒いタイツをはかせるような心配性な一面もありました。
でも、そんなことは当時はわからなくて。こちらのほうが逆に父を心配しはじめるようになったのは、何十年も経ったあとのことでした。あるとき電話で「あれ? おまえ、さっきまでワシの横で一緒に飲んでたやないか」なんて言い出した。「いやいや、俺はずっと東京だよ」と答えながら、これはおかしいぞ、と。レビー小体型認知症と診断されてから知ったことなのですが、この病気の典型的な症状が、まさに幻覚(幻視)だったんです。ところが父は、症状に慣れるうち、認知症であることを自覚するようになったんですよ。日記にも「私はレビー小体型認知症である」とはっきり書いていました。
東京の施設に入ってからは親子の会話も増えました。で、ときどき僕よりすごくキレのあることを言ったりするんですよね。こんな理知的なところがまだちゃんとあるんだ、と。そんななか、世間でこの認知症への誤解が広がっているのを知り、少しでも世間の理解が深まるといいな、発信できればいいな、と思うようになったんです。
岡村隆史さんからの
「僕の中では大賞です」という称賛とダメ出し
ミステリーを書こうと思った一番の理由は、昔、番組を一緒にやっていたラジオディレクター(当時)の志駕晃さんが、『このミス』大賞の隠し玉として発売され、映画化までされた『スマホを落としただけなのに』を書かれたことです。知り合いのディレクターさんが素晴らしいミステリーを書いたという衝撃に、どんと背中を押されました。
実は、『このミス』大賞に応募したことはほとんど誰にも話していなかったんですが、岡村(隆史)さんだけには知らせていました。応募する前の原稿段階で、彼のほうから「読ませてください」と。しかも、「めっちゃ面白いです」「僕の中では大賞ですよ」とまで言ってくれたんです。けど、ダメ出しもしてくれて、それが正鵠を射ていたので、そこは全て直して応募しました。やはりエンタメに関しては天才なのか……なにか天性の勘みたいなものが働くんでしょうね。
なので、受賞してとても喜んでくれていると思います。「行きつけの天ぷら屋で奢りますんで、飲みましょう!」と言ってくれましたから。
ただ、それからすでに1か月以上経ってますけど、いまだにお声がかからない(笑)。ですから今は、天ぷらの連絡と、いつかの探偵事務所の先生からの連絡を、ひたすら待っているところです。
「『老害』という言葉は大嫌い」
祖父に名前を付けなかった理由
今作で、レビー小体型認知症の祖父にあえて名前を付けずに普通名詞にしたのは、誰にでも仮託できる存在にしたかったからです。昔話で「おじいさん、おばあさん」と言われるような万人受けする存在になればいいなと思って。
また、僕は「老害」という言葉が大嫌いなんですよね。昔はお年寄りって尊敬語で、年を取っているだけで偉いとされるのが日本の文化だったじゃないですか。それが逆に今は、年を取ることそのものが害だ、という意味合いで安直に「老害」という言葉が使われたりする。それを昔みたいな空気に戻したい。今作には、そんな思いも込めています。
次回作は、ミステリーで人情噺を書きたいです。そして、できれば今作の第2弾も狙っていますので、ご期待ください!
(インタビュー公開日:2022年12月6日)
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