
「3世紀」から読み解く
統一王権成立までの道のり
新王都・纒向と前方後円墳はなぜ生まれたのか
女王・卑弥呼は「ヤマト王権」の初代大王だった
第1章 邪馬台国は滅びたのか
第2章 プレ邪馬台国時代と倭国王
第3章 倭国乱と卑弥呼共立政権の誕生
第4章 卑弥呼・台与政権による全国統一
第5章 大王・卑弥呼ともう一人の大王
第6章 崇神天皇と四道将軍の時代
第7章 「3世紀」が遺したもの
【識者へのインタビュー】
桜井市纒向学研究センター長 寺沢薫
大阪大学人文学研究科 教授 福永伸哉
大阪公立大学大学院文学研究科 教授 岸本直文
ヤマト王権の成立は、文献史料がない「空白の4世紀」の時代と考えられてきた。しかし近年、纒向遺跡の調査・研究が進められ、「3世紀」に注目が集まっている。また2023年、桜井茶臼山古墳で103面の銅鏡破片が発見され、盟主的な存在とされてきたヤマト王権の大王像の見方も変わりつつある。諸国に共立された卑弥呼政権から、強大な力を持った大王に戴くヤマト王権へ。その道のりを最新学説と発掘調査から読み解く。
畿内で相次ぐ考古学的発見によって、ヤマト王権は誕生当初から、従来考えられてきた以上に強大な力を持っていたことがわかってきた。さらには、別モノと考えられてきた邪馬台国とヤマト王権について、卑弥呼政権もまた初期ヤマト王権だったとする説も、複数の著名研究者から出てきた。ヤマト王権の誕生について、最新の考古学成果と従来の説をくつがえす新説から真相に迫ります。
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