書籍
証言 UWF×プライド 総合格闘技に挑んだプロレスラーたちの死闘秘話
虚と実をすべて語る!
『泣き虫』では未公開! 髙田vsコールマン戦の真相
ルビコン川を渡った男たちが味わった
「非幻想」の世界とは?
髙田延彦 「コールマン戦は与えられた仕事を全力でまっとうしただけ」
田村潔司 「サクとの試合を“大人の事情”でやりたくはなかった」
榊原信行 「髙田さんも、田村も桜庭も交渉が簡単な人ではなかった」
藤田和之 「ケアー戦の勝利は“受けてなんぼ”のプロレスのおかげ」
中邑真輔 「イグナショフとの再戦は、負けたらやめる覚悟だった」
A.猪木 「髙田vsヒクソン戦は、観る前から勝負はわかっていた」 ほか
選ばれてあることの
恍惚と不安と
二つわれにあり
――ヴェルレエヌ
髙田 延彦(たかだ のぶひこ) プロフィール
1962年、神奈川県生まれ。80年、新日本プロレスへ入団。84年に第一次UWFに移籍するも、活動停止後の86年から新日本に再参戦。前田日明の解雇により、88年、前田らとともに新生UWFを設立。大きなムーブメントを巻き起こしたが、フロントと選手間の不和などが原因で新生UWFは解散。91年にリングス、藤原組、UWFインターナショナルに分裂。髙田はUインターのエース兼社長に。“プロレス最強”を掲げ躍進するも、96年12月にUインターは解散。97年、98年の2度にわたりヒクソン・グレイシーとPRIDEのリングで対戦。2002年、PRIDE.23の田村潔司戦で現役引退。現在はRIZINの統括本部長を経て、解説などで大会を盛り上げる
田村 潔司(たむら きよし) プロフィール
1969年、岡山県生まれ。89年に新生UWF生え抜き第1号選手としてデビュー。UWFインターナショナルで頭角を現し、先輩の山崎一夫やゲーリー・オブライトを撃破。95年から始まった新日本プロレスとの対抗戦出場を拒否。96年、リングスに移籍し、リングス無差別級王者となるなど、エースとして活躍。第1回KOKトーナメントではヘンゾ・グレイシーに勝利。2001年にリングスを退団。02年からはフリーとしてPRIDE、DEEP、DREAMなどで活躍。02年11月の「PRIDE.23」では髙田延彦引退試合の相手を務めた。
榊原 信行(さかきばら のぶゆき) プロフィール
1963年、愛知県生まれ。87年、東海テレビ事業株式会社へ入社。UWFインターナショナル名古屋大会のプロデュースをきっかけに髙田延彦と知り合う。髙田vsヒクソン・グレイシー戦実現に尽力し、「PRIDE.1」の開催に携わる。2003年、PRIDEの運営会社DSEの代表取締役就任。07年3月、UFCのオーナー、ロレンゾ・フェティータにPRIDEの経営権を売却。15年10月に「RIZIN」を立ち上げ、運営会社ドリームファクトリーワールドワイドの代表取締役社長を務める。
中邑 真輔(なかむら しんすけ) プロフィール
1980年、京都府生まれ。青山学院大学のレスリング部で主将を務めたのち、2002年、新日本プロレスに入団。同年大晦日、「INOKI BOM-BA-YE 2002」でダニエル・グレイシーを相手に総合格闘技デビュー。プロレスラーと総合格闘家の二足の草鞋を履く。03年12月9日、初挑戦でIWGPヘビー級王者となり、最速、最年少の戴冠記録を残す。同年大晦日のK-1でアレクセイ・イグナショフと総合ルールで対戦(無効試合)。04年5月22日、イグナショフと再戦し勝利。以降、新日本のトップ選手としてプロレスに専念。16年1月に新日本を退団し、WWEに移籍。
アントニオ 猪木(あんとにお いのき) プロフィール
1943年、神奈川県生まれ。13歳からブラジルに渡り、コーヒー農園で過酷な労働に従事していたが、60年に力道山にスカウトされ日本プロレスに入門。同年9月の大木金太郎戦でデビュー。66年、東京プロレスを設立するも3カ月で破産し日プロに復帰。ジャイアント馬場とのタッグチーム「BI砲」で活躍したが、71年にクーデター事件を起こし日プロ追放。翌72年に新日本プロレス旗揚げ。「燃える闘魂」と称され、異種格闘技戦、IWGP戦などでプロレス黄金時代を築く。98年、引退。2013年から参議院議員(2期目)を務めたが、19年6月26日に政界引退。22年10月、死去。