有田哲平大推薦
「この表紙! ごちゃごちゃ言わんと、読むしかない!」
●長州政権「ドーム興行」の隆盛と崩壊
●第二次UWF崩壊と3派分裂
●髙田×ヒクソン戦とプロレスの凋落
●アントニオ猪木の引退
●橋本×小川“1・4事変”と橋本真也の死
●ジャイアント馬場逝去と全日本分裂
ほか
長州力「あの頃は下手な(野球)球団よりギャラはよかった」
川田利明「親より長く一緒にいた馬場さんを裏切れない」
ジェラルド・ゴルドー「橋本vs小川戦、猪木から事前に『小川を守れ』という指令が出ていた」
齋藤彰俊「三沢社長は万が一を考え、対戦相手への手紙を残していた」
宮戸優光×安生洋二×鈴木健
「道場破りでヒクソンに勝っていたら安生は殺されていた」
「テーマは平成の10大事件。それは『告白』というスタイルをとっている。つまりこれは形を変えた『最後の真実』なのだ。ここに登場しているプロレスラー、関係者のほとんどは昭和という座標軸を生きた人たち。ここに最大のミソがある。(中略)別の言い方をすれば、これは『昭和最後の10大事件』といえる」(ターザン山本「まえがき」より)。昭和から平成にかけてのプロレスの隆盛、そして凋落。その決定的事件を当事者が告白する。
2018年2月に発行した『告白 平成プロレス10大事件 最後の真実』の文庫化です。
UWFの崩壊、ドーム興行、アントニオ猪木引退、橋本真也の死、ジャイアント馬場の死と全日の分裂、三沢の非業の死など。平成プロレスの10大事件の真相に迫ります。
昭和の黄金期から変わっていく平成時代の、多くのファンが興奮したプロレスの栄光と、その虚構に迫ります。
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長州 力(ちょうしゅう りき) プロフィール
1951年、山口県生まれ。専修大学入学後、72年にミュンヘンオリンピック・韓国レスリング代表となる。74年、新日本プロレス入団。80年代に入り、藤波辰爾との「名勝負数え唄」で革命戦士としてブレイク。84年に新日本を離れジャパンプロレスに参加、全日本プロレスに闘いの場を移す。87年、新日本に電撃復帰。現場監督として90年代の黄金期を牽引するも、2002年、再び新日本を退団。19年6月、引退。
前田 日明(まえだ あきら) プロフィール
1959年、大阪府生まれ。77年に新日本プロレス入門。将来のエースを嘱望され、イギリスに「クイックキック・リー」のリングネームで遠征。第一次UWFに参加したのち、新日本にカムバックしたが、87年11月の「長州力顔面蹴撃事件」で解雇される。88年の新生UWF旗揚げを経て、91年にリングスを設立。99年2月、アレクサンドル・カレリン戦で現役を引退。現在はYouTube「前田日明チャンネル」を開設し、元レスラーや関係者との対談などを公開。チャンネル登録者数24万人超(2024年6月現在)の人気を博している。
川田 利明(かわだ としあき) プロフィール
1963年12月8日生まれ。栃木県下都賀郡大平町(現・栃木市)出身。高校ではレスリング部に所属し、国体優勝後の82年3月に全日本プロレスに入団。同年の10月4日、冬木弘道戦でデビュー。87年には天龍源一郎の「天龍同盟」に加入し、世界最強タッグ決定リーグ戦の奮闘などで大きな注目を集める。その後、高校時代の先輩である三沢光晴と「超世代軍」を結成。ジャンボ鶴田や強豪外国人レスラーに果敢に闘いを挑む。94年、第12代三冠ヘビー級王者に。三沢、小橋建太、田上明との闘いは「四天王プロレス」と呼ばれ、全国のプロレスファンを大いに興奮させた。現在、レスラーとしてはリングから遠ざかっているが、2018年からは自身初のプロデュース興行となる「Holy War」を開催。プロレス界の発展に尽力している。10年6月12日、ラーメンと鶏の唐揚げを看板料理に、自身のニックネームにちなんだ「麺ジャラスK」を開店。
秋山 準(あきやま じゅん) プロフィール
1969年、大阪府生まれ。92年、ジャイアント馬場のスカウトで全日本プロレスに入団。90年代中盤以降は、四天王と並ぶ「五強」と称され、看板レスラーの一人に成長。2000年7月、プロレスリング・ノアへ移籍。01年7月には、三沢光晴を破りGHCヘビー級王座を獲得。12年12月、ノア退団。13年7月、全日本に再入団。14年7月、オールジャパン・プロレスリング株式会社の社長に就任(19年退任)。現在もフリーとして現役を続ける。
齋藤 彰俊(さいとう あきとし) プロフィール
1965年、宮城県生まれ。90年12月、剛竜馬のパイオニア戦志でプロレスデビュー。WINGでは徳田光輝、木村浩一郎とともに「格闘3兄弟」として活躍。92年1月から新日本プロレスに参戦し、青柳政司、越中詩郎らと反選手会同盟(後の平成維震軍)を結成。2000年10月以降は、プロレスリング・ノアに参戦し、06年1月、正式にノア所属選手となった。09年6月13日にリング上の事故で死亡した三沢光晴の最後の対戦相手となった。